Chapter 117 30分の短編映画

わたしたちはせいぜい生きても100年程度の寿命です。
しかも100年生きても、その3分の1の30年余りは眠っているのですから、人生における悲喜こもごもの出来事も、眠っている間に観る夢に大きく左右されていることを理解しておかなければなりません。
その睡眠時間の更に3分の1がREM睡眠と言われる夢を観ている時間とすれば、わたしたちは、一生の内で10年以上は、夢を観ていることになります。
1日24時間としての10年ですから、これは相当長い映画であるわけです。
2時間程度の映画を観るだけで、涙を流し感動するわたしたちですから、10年以上の映画であれば、これはまさに人生そのものと捉えてしまうのです。
しかし、夢は1回30分で途切れてしまうので、無制限連続バラバラ1本立て映画となっているのです。
これが10年間ずっと続いている筋書きのある映画だったら、夢では済まされないでしょう。
しかし、わたしたちは夢の余韻を引き摺っています。
それは、30分で途切れる夢であるから余韻を引き摺っているのです。
たとえ、トータルでは10年以上夢を観ていたとしても、30分で途切れるバラバラ映画だから引き摺る程度で収まっているのです。
しかし、実際にはわたしたちの潜在意識下では、四六時中夢を観ていると申してきました。
夢自体がわたしたちの一生と言っても過言ではありません。
ここに、大きな救いがあるのです。
せいぜい30分までの短編映画であるから、トータルでは10年以上のものであっても、わたしたちは生きて行けるわけです。
しかし、眠っていない残り3分の2の70年余りが問題になってくるのです。
この70年余りの眠っていない時間を、本当に目だけでなく意識まで醒めた状態で生きておれば、30分の短編映画を観るのも砂漠の中のオアシスとしての効果もあるのですが、意識が醒めていなかったらまさに無制限連続バラバラ1本立て映画になってしまって現実でない夢に怯える一生になってしまうのです。
わたしたちの四苦八苦の人生とは、意識がずっと眠っているが故のものであって、意識が醒めていれば、四苦八苦もせいぜい30分しか続かない短編映画であることを知ることができるのです。
そして醒めた意識が永遠の眠りに就けるのが、死ぬことの意味であるのです。
永遠の眠りの一瞥を与えてくれているのが、30分の短編映画であるのです。
その短編映画は、ひょっとしたら1時間の短編映画かもしれません。
ひょっとしたら1時間半の短編映画かもしれません。
ひょっとしたら8時間の短編映画かもしれません。
ひょっとしたら10年余りの短編映画かもしれません。
いや、100年の短編映画かもしれません。
それは、わたしたちの気づき次第であるのです。