Chapter 114 人生を読み直す

人の一生というものは、長いようで短いものです。
わたしの作品の中で、「果てしない彷徨」と「さようなら!」という小説があります。
「果てしない彷徨」は人生の最終局面に臨んだ老人の話で、「さようなら!」は小学生の話ですが、まさに人生というものは、長いようで短いことを著した作品だと思います。
「さようなら!」での小学生時代の6年間の話は、人生がとてつもなく長いように感じさせます。
「果てしない彷徨」での65才から72才までの8年間の話は、まるで1年間の出来事であったように、人生の短さを感じさせます。
それは単に、老人の話だから短く感じ、少年の話だから長く感じるだけのことではないのです。
わたしたち人間の一生は、山登りにたとえられます。
頂上に達するまでは、とてつもなく長くて労力の要るものですが、頂上から山を下りるのは実に早い。
何かを目指して生きている時は、時間の経つのを長く感じ、何かを達成したあとの余韻は、時間の経つのが短く感じるからでしょうか。
夢の中では、時間の経つ感覚がまったく感じられないものだと言いました。
意識があるなら、時間の経つ感覚が必ずある筈なのに、夢の中では感じられないのは、実は意識が眠っている証拠に他ならないからだとも言いました。
夢の観方に拠って、意識が眠っている場合とそうでない場合があるからでしょうが、わたしたちは、殆どと言っていいぐらい、意識を眠らせた状態で夢を観ているのです。
つまり時間の経つ感覚が場合によって違ってくるということは、時間の経つ感覚がまったく無いことを示しているのです。
意識が完全に醒めた状態では、時間が止ったように感じられるわけですが、時間が完全に止るということは、走っている乗りものに乗っているのに、止っているように感じるのと同じ原理です。
時速300kmで走っている新幹線に乗っている人が車窓から外の景色を見れば、やはり自分も時速300kmで走っていることを知るのです。
車窓から外の景色を見ることが、意識が醒めていることなのです。
「乗りものに対して、止ってもいるが、走ってもいる自分を感じる」
この感覚がある時、醒めた状態であるのです。
「乗りものに対しては止っているが、その乗りものの中では歩いたり走ったりしている自分を感じている」
この感覚がある時、意識が眠った状態であり、時間の感覚が短くなったり長くなったりするのです。
結局の処、錯覚の人生を送っていると、時間の経つ感覚が変化するわけです。
「果てしない彷徨」を読んでも、「さようなら!」を読んでも、時間の経つ感覚が同じであれば、意識が醒めていることになります。
そう思って、いま読み直しているわたしであります。
みなさんも、自分の、「果てしない彷徨」と「さようなら!」を探して、一度読み直すことを、お薦めします。