Chapter 113 人間とは旅人

所謂現実の世界と勘違いしている、目が醒めている状態は、実は夢を観ているのであって、眠っている時に観ている夢の延長線上の出来事であるわけです。
もちろん醒めた意識で以って生きていれば、それこそ現実の世界を生きているのですが、わたしたちは残念ながら醒めた意識で以って生きてはいないのです。
わたしたちは常に過去や未来に思いを馳せながら生きていることが、その証になっているのです。
過去や未来に思いを馳せて生きている生き物は、わたしたち人間だけであります。
それを以って、人間は考える動物と言われているのです。
他の生き物は思考することはありません。
もちろん彼らにも記憶はありますが、Chapter47で述べましたように、彼らの記憶はすべて身体の各器官の記憶装置にストックされていて、大脳で一旦思考してから身体の各器官に伝達される構造にはなっていないのです。
従って、彼らの行動パターンは飽くまで本能的であるのに対して、わたしたち人間の行動パターンは理性的であるのです。
しかし、理性的であるわたしたち人間も、動物としての本能はあります。
時には本能的であり、時には理性的であることが、わたしたち人間を分裂させているわけで、悩みの原因はすべてこの分裂状態に起因しているのです。
だからと言って理性的であることが悪いと断言は出来ないわけで、わたしたち人間が生物の頂点に立っているのは、他ならぬこの理性的であるが故です。
問題なのは、本能的な部分と理性的な部分が二律背反している点にあるのです。
動物はセックスするのも本能でしているから、セックスに善悪の判断など毛頭ないのです。
殺したり、傷つけ合ったりするのも本能でしているから、殺す行為に罪意識など感じていないのです。
わたしたち人間だけが、『これはやっても好いが、あれはやっては好くない』と善悪の判断をするのであって、人間が理性的である所以なのです。
この判断がなかなか難しい。
思うまま、感じるままに本能的に生きれば問題はないのですが、わたしたち人間は他の動物の生きている世界に戻ることは今更できません。
だからといって理性的な部分を中途半端に発揮して生きると分裂した複数の自分に悩まされることになる。
結局の処、わたしたち人間は到達するべき処に未だ到達せずに、放浪の旅をしていると言っていいのではないでしょうか。
何時到達するのか、何処が到達場所なのかがわからないで旅をしているのですから、放浪の旅であるのです。
その解答を見つける為に、わたしたち人間は旅をしているのです。
到達する時と場所がわからないまま旅を続けているわたしたちですが、せめて何故旅をしているのかぐらいは知っておくべきでしょう。
しかし、何故かを知ったら、その理由を担いで旅をしてはいけません。
見果てぬゴールを信じて旅を続けるだけのことです。
その時に助けてくれる道標が随所にあります。
それが夢と現実の世界の狭間にあるのです。