Chapter 106 失うことの悦び

日々具体的な問題でありながら未だ来ぬ世界に、不安と恐怖に苛まれているわたしたち。
その一番の代表が死という具体的な問題でしょう。
しかし、死に関しては、余ほど身近の問題にならない限り、それほど不安に苛まれないわたしたち。
わたしたちは、共有の問題に関しては、それが相当深刻なものであっても、あまり気にはならないようです。
しかし、固有の問題になると、それが他愛のないものであっても、相当深刻に悩む、実に希代(けったい)な生き物であります。
ましてや、他人から見れば、即ち他人事となれば、阿呆臭くて話にもならない問題で、あれこれ悩んでおる、まさにどうでもいい固有の問題に帰結するわけです。
その原因は、結局の処、自我意識(エゴ)にあるのです。
念のために申しておきますが、自我意識(エゴ)とは、いま阿呆を通り越して若年性痴呆症に冒されている若者たちの間で流行の、自己中心−何でもショートカットしたがる浪花の若年痴呆症たちの間では、ジコチュウと言われている−という意味ではありません。
どちらかと言うと、卑小なプライドと言った方がよりわかり易いかもしれません。
わたしたちは、記憶が始まった3才ぐらいの頃から、親によってされるいわゆる躾によって、卑小なプライドを逆増長させられてきたのです。
この溜まりに溜まった卑小なプライドが自我意識(エゴ)の源泉であることを理解しなければなりません。
だから他人から見れば、実に他愛のない卑小な問題でギャーギャー喚いておるのが、人生における四苦八苦の殆どの原因なのです。
そんな暇があるなら、死という人生最大の問題について悩んだ方が精神性の向上にどれだけ役に立つでしょう。
だのに、死について真剣に悩んでいるのは、癌だと死の告知をされた人のように殆どは、不治の病に陥った時だけです。
病気とは、健康という恵みを粗末にした愚かで哀れな人間に与えられたお仕置きであるのです。
それと死とは、まったく別問題です。
わたしの持病の心臓疾患も、長年のハードな運動で心臓を粗末にした罰なのです。
死という人生最大の問題について悩んでいないのに、実に他愛のない問題でいま悩み苦しみ苛まれている方は、先ず死の問題について悩み苦しむことです。
「死が現実に目先にやって来ていないので、なかなか死について悩むことができないでいる」
と言う方は、一度自殺を計ってみることです。
最近、列車に飛び込み自殺をする人が激増しているようですが、その結果死ぬ人は、それがその人の死に方であっただけのことです。
だから、自殺を計って死ぬことができなかったら、それは自分の死に方ではなかったということです。
自殺とは、他愛もない問題で悩み苦しむ人間に与えられた、最後の気づきの恵みであるのです。
「そんなにつまらない卑小なことで死ぬような苦しみをするなら、一度死と対面しなさい。そうすれば、如何に阿呆くさいことで悩んでいたことかがわかるでしょう」
と天がわたしたちに恵みを与えてくれているのです。
固有の問題だから、プライドが傷つくのです。
しかし固有の問題は所詮他人事であるのです。
共有の問題なら、プライドは傷つかないのです。
たとえ死の問題であっても共有の問題であれば悩みではないのです。
固有の問題で日々悩む方。
卑小なプライドを捨てることです。
卑小なプライドに執着して、それを失うことを恐れている方。
失うことの解放感と悦びを知ることです。
ホームレスになっている人たちは、その一瞥を見たのです。
現代社会におけるユートピアは、列車の線路か、ホームレスの青いテントにしかないのでは、万物の霊長などと偉そうなことは言えません。