Chapter 100 夢のまた夢

わたしたちは、普段眠りの中で夢を観ていると思っています。
一方、眠りの中で観ている夢の中で夢を観たことが無いと以前申しました。
それは目が醒めている時には、夢を観ていないという前提での話でした。
しかし、白昼夢という言葉があるように、目が醒めている時にも夢を観ているとするなら、眠りの中で観ている夢の中で夢を観ることもあり得るわけです。
そうしますと、夢の実体は一体何なのでしょうか。
一方、わたしたちが思っている所謂現実の世界とは一体何なのかも漠然としてくることになります。
つまり、所謂現実の世界と夢の世界の区分けが明確に出来ないでわたしたちは生きているわけです。
その区分けを出来るだけ明確にする為に、今までお話をしてきたのです。
わたしたちの世界とは、独りだけの劇場があって、その席は3階、4階、5階まであり、また舞台は、実舞台とそのうしろに背景画面があり、3階から観ている背景画面が、所謂目が醒めている時の現実の世界であり、5階から観ている背景画面が、眠りの中で観ている夢の世界であり、共に背景画面の中で演じているのが、複数の「私」であると説明してきました。
また実舞台は4階の席からしか見えなくて、4階の席に座って実舞台を鑑賞し、且つ演出し、且つ実舞台で演じているのが、本当の自分、つまり実在する「わたし」であると申してきました。
しかし、普段わたしたちが自分と思っているのが、「私」であるので、3階から見える背景画面の自分であったり、5階から見える背景画面の自分であったりして、その区分けが出来ないでいるのです。
つまり、目が醒めている時が現実なのか、眠っている時に観ている夢の世界が現実なのか明確に出来ないままで生きて、そして死んで行くのです。
まるで中ぶらりの人生を生きて、そして中ぶらりのまま死んで行くのです。
これはとても不幸なことだと思うのです。
輪廻転生があるのかどうかというような問題ではなく、生まれて来た限りは一所懸命生きるべきであるし、死ぬ時には思い残すことなく死んで行くべきであります。
それを、自分が生きている世界が、如何なる世界かもわからずただ漠然と生きて、そして漠然と死んで行くのは、所謂現実の世界で味わう四苦八苦の不幸など比較にならないほどの不幸だと思われないでしょうか。
それこそ、わたしたちは夢のまた夢の中で生きているようなものと言えるでしょう。