Chapter 10 現実という世界

わたしたちが生まれてから死ぬまでの間生きている世界を現実の世界と言うのですが、人生80年とすれば、およそ3万日の日々を暮らしている世界であるわけです。
嘗て、人生50年と言われていた時代でも、およそ2万日の日々でした。
従って、眠っている間だけ夢を観ているとするなら、2万回から3万回夢を観て一生を終えてきたことになります。
これだけの回数いろいろな夢を観るということは、果たして可能かと言うと、まったく不可能とは言えませんが、普通の精神の持ち主であるわたしたちでは無理だと思われます。
今まで、それぞれ各自の人生を映画を観ている観衆で喩えてきましたが、わたしたちは毎日数本の映画を観るために映画館に通い詰めて一生を終える、まるで映画を観るのが仕事で、天職であるかの如く生きることが果たしてできるでしょうか。
わたしは、現実の世界とは如何なるものであるのかを話しているわけですが、何度も申して来ましたように、現実の世界とは無制限連続バラバラ1本立て映画であることを強調して来たのです。
わたしの主張のベースにあるのは、人間生まれてから死ぬまで、一生が夢を観ているのが実態であるということです。
一方、一般論では、眠っている時だけ、特にREM睡眠をしている時だけ夢を観ている、つまり眠っている時間の3分の1だけ夢を観ていると考えられている。
人間の生活スタイルは、他の動物のように1日24時間のうちおよそ18時間眠っていることはなく、3分の1が睡眠時間と捉えているようですから、一生3万日のうち夢を観ている総日数は、9分の1のおよそ3千日ということになります。
3千日と言えば、約10年です。
人生80年のうち約10年夢を観ているのが一般的な考え方であるのです。
何故このようなことをお話するのか。
人間、生まれてから死ぬまでの一生を、各自それなりに必死に生きて来られたのでしょう。
例えば、サラリーマンの方は、大体30年から40年会社員生活をします。
すなわち、人生の半分を会社員生活に費やします。
サラリーマンのみなさんを見ていますと、会社員生活が己の一生のすべてのように、それはもう大変なエネルギーを使って必死に生きて来られた方々が殆どだと思います。
一生の最大のイベントであった会社員生活といえども、40年であり、1日12時間を割いていたとしても、実質20年のストーリーであったのです。
一方、夢はその半分の10年観て来たのです。
20年間の会社員生活中心に生きることが現実で、10年間の夢が幻だと果たして言い切ることが出来るでしょうか。
最近の経済の疲弊、及び高齢化社会の到来によって、サラリーマン諸氏の現役引退後のライフスタイルに大きな問題が起こっています。
要するに生きる目的を失ってしまった方々が、人生50年であれば残り少ない人生を余韻で生きることも粋なことになるのですが、まだ30年も残っていれば粋なこととは言っておられない。
何かしなければならないと思うのは当然です。しかし何をしていいのかわからない。
わからないのではなくて、することが無いのが実体であるのです。
その原因が、実質20年の会社員生活のストーリーを現実だと考え、10年観て来た夢を幻だと捉えてきたところにあると、わたしは指摘したいのです。
一生を無制限連続バラバラ1本立て映画だと捉えれば、会社員生活も夢、眠っている時に観る夢も、会社員生活という夢を観ている連続ドラマの一駒だと考えられるわけです。
そう考えますと、人生を深刻に捉えることが実に無駄なことであるとわかってきます。
ましてや、そのうちのたかだか20年の会社員生活を人生のすべてだと捉えて深刻に生きているわたしたちは、何と愚かであることか。
女性が、結婚生活40年間、家庭の主婦として深刻に生きて来たことも、男性の会社員生活とまったく同質であります。
その根本的問題に気づきつつあるのが、わたしたち現代人であるのです。
倫理観が希薄になり、世の中が退廃しているように思える昨今、その根源には意外とシンプルな原因が潜んでいるように思えてなりません。
それが現実という世界と、夢の世界を深く洞察することによって解決できるのではないかと、わたしは考えているのです。