大蔵官僚腐敗(5)「私物国家」 広瀬隆 著 より抜粋

そもそも有吉正は、父の有吉明が戦時中の上海総領事として麻薬の阿片に精通する人物であった。
また叔父の有吉実が、警察部長出身の住宅金融公庫の顧問弁護士であったから、住宅金融の専門一族であった。
初めから、その弁護士の甥が大蔵省に入って、彼らの手の中で、この巨大住宅金融グループが誕生するよう運命づけられていたのである。
そして住専が71年に設立されると、七社のうち、実に六社の創業ポストが、たちまち大蔵省OBによって占拠されたのである。
その最初の会社が、大蔵省代表日銀政策委員だった庭山慶一郎を社長に迎えた日本住宅金融であった。
この住専設立という政策こそ、ちょうど71年6月に退官した大蔵省事務次官・澄田智の置き土産であった。
そのため、澄田が、以後の大蔵官僚天下りを支配してゆくメカニズムが誕生したのである。
有吉一家が精通した住宅金融公庫は、96年までに、ほぼ一年分の国家予算に匹敵する64兆円という大きな金額を、そちこちに貸し付けてきた。
そのほとんどは、われわれ国民の郵便貯金を流用した金であった。
この金も、住専と同じように焦げついて、いま現在、回収不能の金がどんどん膨れあがっている。
それでも、毎年10兆円単位の貸し付けが続いているので、小さな破綻が引き金となって、郵便貯金そのものの土台がゆるがないかと、戦々恐々の状態にある。
大蔵省から登場した庭山慶一郎は、銀行局時代に検査部長をしていたのだから、こうした自分の行為が何を意味しているか、よくわかっていたはずである。
庭山は、住専社長になる前に、大蔵省から明治大学法学部に移って、租税法を学生に教えていた。
そこにわれわれの税金を投入するのが、正しい処理であると、彼の教科書に書いてあったなら、大学教育の根本を考え直さなければならない。
実はそこに日本の最大の官僚問題があると思われる。
官僚を、キャリア組とノンキャリア組に分けて人物評論をするのが、日本のジャーナリストの習い性となっている。
これは、国家公務員の採用試験で、I種に合格した人間を俗にキャリア組と呼ぶためであり、霞ヶ関という狭い世界では、スピード出世コースに乗ったエリート官僚として、彼らを増長させる風潮の土壌となっている。
また不祥事発生後には、皮肉をこめて、「キヤリア組のエリート官僚」と肩書を重くして賞賛してから、彼らが何をしたかをくわしく報道するのが、このI種試験とは縁のない現場記者たちの人生で唯一の愉しみのようであり、そうした記事の人生哲学が反映されて、われわれの共感を呼ぶわけである。
そのキャリア組の最終目標ポストが事務次官である。
当然のことながら、この秀才たちは、筆者などには到底理解できない難しい試験問題を解きあかす能力を持っているから、I種試験に合格したはずである。本書の系図に登場する高級官僚を調べていたとき、その彼らが、どうしようもないヤクザ同然の政治屋集団や、財界の大物たちと、同じ閨閥を形成していることに気づいて、当初は不思議でならなかった。
しかし、権力が金を呼び、金が権力を呼ぶため、相互に政略結婚を求めてゆくものらしい。
庭山慶一郎の場合は、三井財閥当主の三井家と閨閥をつくっていた。