アメリカの経済攻撃−(3)公務員という寄生虫

アメリカの経済攻撃第三段は、1993年2月にフレッド・バーグステンという国債為替市場を分析することを専門にするグローバリストの民主党系戦略学者の発言から始まりました。
彼が93年2月の京都講演で、「1ドルは100円を割る」と発言すると、この直後から、ドルが下落、円が高騰を始めたのです。
94年6月21日に1ドルは100円を割り、円金利も下がりはじめ、95年1月には、とうとう1%を割るという恐るべき低金利時代に突入したのです。
当時の三重野・日銀総裁は、「インフレが起きる危険性を警戒して、金利を下げ続けなければならない」という姿勢を取り続けた。
G7で、他の先進諸国の大臣クラスの人々から「インフレ・ファイター」とおだてられ持ち上げられた三重野・日銀総裁は、アメリカの財務省が仕組んだ「日本を低金利状態に置け。資金が日本内部でさらに膨張することを阻止せよ。海外に資金を流出させよ」という罠にまんまとはまり続けたのです。
95年4月19日には、1ドル79円75銭という「超円高」にまで達しました。
金利は、95年9月8日には、0.5%という異常な低さに達し、更に、0.01%という恥ずべき低さのまま続いて現在に至っているのです。
1ドルが100円を割って80円台、90円台だったのは、95年3月から8月までであり、「超円高」で苦しみ続ける日本に対して、アメリカ財務省は、95年8月に政策転換した。
大蔵省の榊原英資・国際金融局長(当時)が、ロバート・ルービン財務長官と「超円高」修正の協議をした。
榊原氏は以来“ミスター円”と呼ばれるようになります。
この95年8月に、日米自動車交渉と同時進行した「アメリカ経済攻撃」を終了してもらうために、日本側が頭を下げて「逆プラザ合意」とも言うべき「円安もどし」の大蔵省とアメリカ財務省の秘密協定が結ばれたわけであり、この95年8月の「逆プラザ合意」の仕上げとも言うべき首脳会談が翌年の2月のクリントン・橋本会談だったのです。
その時に交わされた四項目にわたる密約があったらしい。
(1) 日本は金利を限りなくゼロに近づけること。
(2) 日本の財政出動(公共事業)を大幅に増やすこと。
(3) アメリカは、日本に対する各分野での通商問題を、今後、すべて棚上げする。政府間の貿易摩擦交渉の時代は終った。
(4) アメリカは、強いドル(ドル高)に政策転換する。円高をこれ以上放置しない。
この米・日密約を発見した日本経済アナリストであるケネス・カーティス氏は、ドイチェ・バンク・キャピタル・マーケット社の上級アナリストとして日本経済の動向を、ヨーロッパからの視点で冷静に見極めた人物です。
そして、この秘密合意の延長線上に、「日本版ビッグバン」(金融大改革)という、日本の金融制度の強制“開国”の路線が敷かれたのです。
日本の金融システムが崩壊の危機に達したのは、実は1995年8月だったのです。
このとき民間銀行は総額100兆円の不良債権を抱えていたのに、当時の大蔵省は、「不良債権は20兆円である」と嘘の発表を続けた。
日本は、この20年間に、アメリカからの巧妙に計画された、為替(超円高)と金利(超低金利)の攻撃を受けて完全に抑え込まれたのです。
ヨーロッパやアメリカでは、公務員や官僚のことを、国家に寄生するパラサイト(寄生虫)であるという考え方があります。
「公務員は寄生虫である」という考え方は、今や欧米では普通の庶民でもよく知っています。
日本の電気・ガス・水道・高速道路などの公共料金がバカ高いのは、大量の公務員と準公務員が何百万人も、その料金を食べているからです。
日本人ひとり一人が目覚めるしか、将来の道はありません。