第八章 歴史の階層性

歴史とは、本来、階層構造を持っているはずである。
まさに、
実在の前後に置かれている鏡に映る実在の映像、すなわち、不在概念は無数の映像に他ならない証明です。
そして、
実在する自分は、『今、ここ』にいます。
一方、
自分の前後に置かれている鏡に映っている第一次の映像こそ、『今、ここ』に最も近い過去と未来としての現在に他なりません。
更に、
第一次の映像の中にある映像の鑑に映っている第二次、第三次・・・の映像が過去と未来に他なりません。
まさに、
過去→現在→未来という心理学時間の矢の正体に他ならず、すべてが映像に過ぎない証左です。
そして、
無限次元・・・(第n次)、(第(n−1)次)、(第(n−2)次)・・・第三次、第二次、そして、第一次(現在)の映像、という無数の映像を少なくとも線的(階層的)に語られるべきなのが、過去の事象を時系列的、すなわち、過去→現在に沿って記述した従来の歴史なのです。
ところが、
西暦1071年〜1272年:十字軍遠征。
西暦1192年:武家政権のはじまり。
といった具合に、(第n次)〜(第(n−1)次)、若しくは、(第n次)だけの事象記述だけで済ましているのが、歴史教育の実体なのです。
まさに、
こんな学問では、誰も歴史に興味を持つ国民はいないし、その結果、レベルの低い国民の国家となり、延いては、支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別人間社会が蔓延するのです。