第七十一章 現象・実体・本質

論理的発想法のことを弁証法といい、日本では三段論法などと云われています。
三段とは、現象・実体・本質の三段階のことです。
森羅万象、平たく言えば、世の中の出来事はすべて、先ず現象が表象し、その背景に必ず実体が隠れており、実体はまだ普遍的でないが、その向こう側には普遍性を有した本質というものがあり、それを真理と呼ぶのです。
新田哲学風に言えば、
自分以外のものすべて、すなわち、外界は実在するもの(実体)ではなくすべて映像(現象)であり、実在するもの(実体)は自分だけであるが、われわれは複数の自分を自分と錯覚しているが、その中で唯一の自分こそが本質、すなわち、真理と言うのです。
まさに、
映画館で上映されている映画が現象であり、映画館の映写室にある映写フィルムが実体であり、鑑賞席で独り(唯一)鑑賞している自分が本質(真理)に他ならないのです。
ところが、
上映されている映画の中に出演もしていないのに、出演していると錯覚しているのが現象であり、実体は映写フィルムにあって、本質(真理)は映画に関わりのない鑑賞者なのです。
ではなぜ、
現象を実体と錯覚し、その結果、本質(真理)が見えなくなるのでしょうか?
現に、
映画を鑑賞しているだけなのに、映画に出演していると錯覚し、映画に一喜一憂している鑑賞者がいます。
まさに、
鑑賞する鑑賞者、鑑賞される映画、その間に、映写室にある映写フィルムという実体による鑑賞する行為があるのです。
まさに、
被鑑賞者(witnessed)という現象の背景に、鑑賞(witnessing)という実体があり、その間に、鑑賞者(witness)という本質(真理)があるのです。
まさに、
本質がこの間に隠されているのである。