第六十四章 畜生の歴史

西洋世界や中国の歴史は、覇道の歴史であったのに対して、日本の歴史は覇道の歴史だと西洋世界からも中国からも認められていない似非覇道社会でした。
では、
日本2676年(紀元前660年2月11日が建国の日)の歴史は、王道の歴史だったのでしょうか?
明治維新政府は、欧米列強覇権主義の西洋社会を習って近代社会を目差してきたのだから、王道の歴史とは決して言えません。
この矛盾こそが、地政学上ではアジアの一員でありながら、アジア社会からも蔑視されてきた所以です。
明治以降の日本の辿ってきた道は、覇道でもない、王道でもない、畜生の道だというわけです。
インド独立の父マハトマ・ガンジーと共に大英帝国と闘ったジャワハルラール・ネールは、当初、アジアの誇りと日本を尊敬していたが、日清戦争(彼にとっては中日戦争)の実体を知って日本に絶望した。
ジャワハルラール・ネール著『父が語る世界歴史』の中の抜粋を紹介しましょう。
『1894‐5年の中日戦争は、日本にとっては朝飯前の仕事であった。日本の陸海軍が新式だったのに対して、中国のそれは旧式で、老朽化していた。
日本は連戦連勝して、中国にたいして、日本を西洋列強と同等の地位におく条約(下関条約)の締結を強要した。朝鮮の独立は宣言されたが、これは日本の支配をごまかすヴェールにすぎなかった。中国はまた、旅順港をふくむ遼東半島、台湾、および若干のほかの諸島の割譲を迫られた』
ついで日露戦争における日本の勝利について、
『日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、こおどりさせたかを、われわれはみた。
ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけくわえたにすぎなかった。そのにがい結果を、最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は、朝鮮の没落を意味した』
まさに、
他のアジア諸国にとって、日本は欧米列強諸国を尊敬できても、決して尊敬できない、寧ろ、軽蔑に値する畜生国家に他ならないのです。