第四十二章 歴史学の正体=詐称の歴史

“歴史学の正体ここにみたり”
まさに、
歴史と歴史学は二元論を成し、歴史が実在で、歴史学は歴史の不在概念に過ぎない証です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典である『旧約聖書』の「創世記」で、天地創造劇が描かれ、人類の祖であるアダムとイヴがエデンの園から神によって追放された記述があります。
エデンの園(自然社会)から追放された人間が、エデンの東にある町ノドで過ごすことになるが、ノドこそ人間社会に他なりません。
そして、
ノドという人間社会こそ、なにごとも好いことと好くないことに区分けする、いわゆる二元論世界に他ならないのです。
爾来、
表裏一体の一枚のコインで表現される二元論世界が、人間社会で展開されることになるのです。
まさに、
“好い”と“好くない”で表現される二元論こそ、われわれ人間社会が悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥った根源に他なりません。
その結果、
われわれ人間社会だけが、
支配・被支配二層構造の差別社会になってしまったのです。
男性社会になってしまったのです。
宗教・科学が横行する社会になってしまったのです。
畢竟(詰まる処)、
差別・不条理・戦争を繰り返す社会になってしまったのです。
では、
なぜわれわれ人間社会だけが、四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥ったのでしょうか?
逆説的に言えば、
では、
なぜわれわれ人間社会だけが、文明社会を築いて地上の覇者となり得たのでしょうか?
まさに、
われわれ人間社会が、功罪両面を有する二元論世界の証に他なりません。