第四十章 歴史と歴史学

“歴史無くして歴史学はない”が、“歴史学無くとも歴史はある”。
まさに、
“歴史無くして歴史学はない”が必要十分条件ですが、
“歴史学無くとも歴史はある”はしょせん必要条件に過ぎないのです。
表現を換えれば、
歴史が実在で、歴史学は歴史の不在概念に過ぎないのです。
ところが、
後世の人たちに伝えるために歴史があって、後世の人たちに伝える必要がなければ歴史の存在意義はない上に、後世の人たちに伝える手段が歴史学というジレンマが、歴史と歴史学には常につきまとうのです。
まさに、
他の学問や科学には一切ないジレンマに他なりません。
数学を学ばなくても生きることはできます。
現に、
数学は大嫌いと言って全然勉強もしてこなかった大人はごまんといる。
国語を学ばなくても生きることはできます。
現に、
文盲な人間が、世界一の文明国と言われるアメリカ人には多い。
一方、
歴史学は学ばぬとも、歴史抜きにして何人たりとも存在できないのが人間社会なのです。
なぜなら、
人間社会における意志の伝達(コミニュケーション)は、言葉で為されるからです。
意志の伝達(コミニュケーション)は、本来、ボディーランゲージ、つまり、肉体全体から発する空気で為されるもので、オーラルランゲージ、つまり、言葉で為されるのは全体の20%足らずなのです。
現に、
文字のない時代では、歴史は口頭伝説により、巫女が代々引き継がれてきたのです。
まさに、
巫女という肉体を通じてボディーランゲージによって、歴史は伝えられてきた証に他なりません。
そして、
歴史と歴史学のジレンマの証に他ならないのです。