第四章 二元論=必要悪の存在意義

「人間原理」という表現そのものが、映像(幻想・錯覚)そのものであるが、それが三元論(終点)に辿り着くための過程(必要悪)である。
まさに、
人間の存在意義とは、必要悪の存在意義に他ならないのである。
そして、
地球上の生命体の頂点に立った人類は文明社会を築き、古代→中世→近代の先端として現代人間社会まで辿り着いたが、その原動力こそ、必要悪の存在に他ならないのである。
逆説的に言えば、
人類以外の他の自然社会の生きものは、地球と一体感を持ち、必要悪など、文字通り不要の不要善として生きてきたゆえ、文明社会を築くことなど不要だったのである。
まさに、
文明は、地球という母なる大地にとって、必要悪以外の何者でもなかったのです。
では、
地球という母なる大地にとって、必要悪は絶対に必要だったのでしょうか?
言うまでもなく文字通り、
地球という母なる大地にとって、必要悪は本質的に不要であり、相対的に必要だっただけです。
言い換えれば、
地球という母なる大地にとって、人類は条件つきで必要だっただけです。
では、
条件つき必要とは、一体何なのでしょうか?
まさに、
不要善に回帰するために必要だったのです。
まさに、
必要悪は不要善の不在概念に他ならなかったのです。
まさに、
必要悪と不要善は二元論を形成し、不要善が実在し、必要悪は不要善の不在概念に過ぎなかったのです。
では、
この事実は一体何を意味しているのでしょうか?
まさに、
必要悪の存在意義に他なりません。
従って、
人類は決して万物の霊長ではなく、本来、つまり、地球にとっては無用の長物に他ならないことを、われわれ人間は自覚しなければならないのです。
まさに、
われわれ人間社会が、二元論世界=必要悪世界の社会に他ならないことが、何よりの証明に他なりません。