第三章 強い人間原理 & 弱い人間原理

はじめに人間ありき、然るに、宇宙ありきとする考え方を科学の世界では「強い人間原理」と言います。
一方、
はじめに宇宙ありき、然るに、人間ありきとする考え方を科学の世界では「弱い人間原理」と言います。
従って、
宇宙のはじまりをビッグバンとする考え方は「強い人間原理」に基づいているわけです。
なぜなら、
最初の一撃が必要であるはじまりがある世界は、必然性の世界だからです。
そして、
最初の一撃を加える者こそ、神の概念に他ならないからです。
そうするなら、
宇宙のはじまりをビッグバンとするなら、宇宙のおわりであるビッグクランチもなければならないはずです。
なぜなら、
必然性の世界なら、おわりがないだらだら世界は許されず、必ず最後の一撃も必要になるからです。
そして、
最期の一撃を加える者も、神でなければならないからです。
まさに、
はじまりとおわりがある世界は、神が創造した世界ということになります。
そして、
神の概念を創造した者こそ、われわれ人間に他なりません。
では、
われわれ人間を創造したのは、一体誰でしょうか?
神とは言わせませんよ!
まさに、
われわれ人間は、イタチごっこする臭いイタチ、自分の尻尾を追いかける阿呆な犬以外の何者でもない証明です。
われわれ人間を含む森羅万象を創造したのは神で、神の概念を創造したのはわれわれ人間で、われわれ人間を創造したのは神で・・・。
まさに、
はじまりがあり、おわりがある世界は、臭いイタチの世界であり、阿呆な犬の世界に他ならないのです。
従って、
「人間原理」に強いも弱いもなく、ただの「人間原理」に過ぎないのであって、問題は「人間原理」にあるのではなく、強いか?弱いか?に問題があるのです。
なぜなら、
強い=弱いが、強弱二元論の本質だからです。
言い換えれば、
強いか?弱いか?は二律背反する考え方で、二元論の本質ではないからです。
逆に言えば、
強い=弱いは補完し合う考え方で、二元論の本質がここにあるからです。
まさに、
「強い人間原理」と「弱い人間原理」は二律背反する間違った二元論に他ならず、「強い人間原理」=「弱い人間原理」で補完し合う正しい二元論なら、「強い」と「弱い」を超えること、すなわち、強いも弱いもない考え方になり、畢竟、二元要因を超えることが鍵なのです。
まさに、
一元論→二元論→三元論の過程は、始点(実在点)→円周(映像線)→終点(実在点)と同じなのです。
更に、
始点=終点だけが実在で、間の円周は映像(幻想・錯覚)という必要悪なのです。
まさに、
「人間原理」という表現そのものが、映像(幻想・錯覚)そのものであるが、それが三元論(終点)に辿り着くための過程(必要悪)であることが鍵なのです。