第二章 はじまりもおわりもない世界

自然社会の生きものや人間社会の純真無垢な子供が生きている世界は、おわりのない世界です。
なぜなら、
彼らは、最期に死ぬことを知らないで生きているからです。
まさに、
結末がわからない生放送のドラマに他なりません。
一方、
われわれ人間社会の大人が生きている世界は、おわりのある世界です。
なぜなら、
われわれ人間の大人は、最期に死ぬことを知って生きているからです。
まさに、
結末がわかっている再放送のドラマに他なりません。
では、
どちらの世界がおかしいのでしょうか?
自然社会や純粋無垢な人間の子供社会が正常で、われわれ人間の大人社会がおかしいのは火を見るよりも明らかです。
では、
なぜわれわれ人間の大人社会がおかしいのでしょうか?
言い換えれば、
最期に死ぬことを知ったことがおかしかったのでしょうか?
まさに、
文明社会を興した人類は、決して進化してきたのではなく、退化していっているのでしょうか?
それなら、
人類は必ず絶滅するはずです。
では、
そんな人類を地球はなぜ生んだのでしょうか?
表現を換えれば、
では、
そんな人類を神はなぜ生んだのでしょうか?
まさに、
二元論世界の存在所以が、ここにあるのです。
言い換えれば、
必要悪としての二元論世界の存在所以に他なりません。
まさに、
人類は、地球にとって必要悪の存在に他ならない証明です。
言い換えれば、
地球が必然性に基づいて自転、公転しているなら、必要悪に過ぎない人類など、まったく無用の長物なのである。
ところが、
ミクロ世界からマクロ世界まで貫く世界、すなわち、森羅万象は、偶然性に基づいているから、必要悪である人類が必要になるのです。
なぜなら、
森羅万象、すべてが確率論に基づいているからです。
まさに、
はじまりもおわりもない世界とは、確率論の世界=偶然性の世界=神の存在しない世界=必要悪の人類が存在し得る世界に他ならないのです。