第十三章 階層の歴史 V.S. 唯一絶対の歴史

二十世紀までは組織の時代と言われてきたのに対して、二十一世紀からは個人の時代と言われています。
電子という素粒子で構成されているわれわれ人間には意思(自我意識=“Ego”)があるから、素粒子の基本である電子にも意思がある。
逆に言えば、
素粒子の基本である電子に意思があるからこそ、電子で構成されているわれわれ人間にも意思がある。
まさに、
この事実が、組織と個人の問題の本質を見事に表現しているのです。
更に、
個人主義と利己主義の決定的違いをも見事に表現しているのです。
なぜなら、
中性子や陽子、すなわち、原子核と電子といったいわゆる素粒子は、みんなフェルミオンと言い、パウリの排他律が働く素粒子のため、この広大な宇宙に唯一の存在(実在)だからです。
従而、
われわれ人間という動物も分子化合物で構成され、延いては、原子、そして、電子という素粒子でできているのだから、やはり、この広大な宇宙に唯一の存在(実在)なのです。
そして、
唯一の個人を認識(自覚)するためには、自分以外の存在、すなわち、組織無くして不可能なのです。
まさに、
他人の姿を認識できても、自分の姿は他人という鏡の存在無くして不可能なのです。
まさに、
自分あっての物種である証明に他ならないが、他人あっての物種である証明でもあるのです。
言い換えれば、
唯一絶対の歴史あっての物種である証明に他ならないが、階層の歴史あっての物種である証明でもあるのです。
まさに、
階層の歴史の辿り着いた終着駅が、唯一絶対の歴史の始発駅に他ならないのです。