決別五日目

ヨーロッパの国の人たちの生き方を見ていると余裕が感じられる。
個人個人を見ているとそれほど裕福とは思えないが、生活に余裕が感じられる。
金持ちを見ていても金持ちに見えない。
一方、アメリカや日本の人たちを見ていると、貧乏な人、金持ちの人が、その姿ですぐにわかる。
この違いは、層の厚さの違いに因るものだと考えられる。
ヨーロッパの国は社会全体が豊かなのだ。
長い歴史の中で持つ者と持たざる者の軋轢・相克があった結果だろうが、そういう過程を経て今日の豊かな社会ができたのであろう。
旧ソ連のロシアへ行っても、どうしてこの国から共産主義が生まれたのか疑問に思う程、社会資本が充実している。
13億の人々を食べさせて行かなければならない中国も大変なのだが、社会資本は日本など比べようもない程しっかりしている。
一方、アメリカや日本という国では、現代社会資本は豊かだが、所謂社会資本はまことにもって貧相である。
アメリカも日本も成り金国家だからである。
上面はぎらぎら飾っても中身は貧相。
拝金主義という新興宗教に嵌ってしまったことに原因がある。
『自分さえ金持ちなら!』という根性があるからだ。
敗戦後の日本は、すべてを失くした。
身を売って食べる糧を得ていた当時の女性と、身を売って欲しいブランド物を得ている現代の女性と比較すると、心の通った情の深い女と、血も通わぬプラスチック女の違いを感じる。
この国は、心の通わないプラスチック国家になってしまったのだろうか。
先ずはお年寄りと子供たちから・・・プラスチック女と決別することである。