決別三十九日目

宗教が如何に政治の手先であったかを、福沢諭吉著「文明論の概略」から引用してみよう。
「宗教は人心の内部に働くものにして、最も自由、最も独立してしかも他の制御を受けず、しかも他の力に依存せずして世に存すべき筈なるに、我日本においては則し然らず。とにかくに古来日本に行われて文明の一局を働きたる宗旨は唯一の仏法あるのみ。然るにこの仏法も初生の時より治者の党に入りてその力に依頼せざる者なし。
古来名僧智識と称する者、或は入唐して法を求め、或は自国に在て新教を開き、人を教化し寺を建てるもの多しといへども、大概皆、天子将軍等の恩顧を徼倖(ぎょうこう)し、その余光を仮りて法を広めんとするのみ。甚だしきは政府より爵位を受けて栄とするに至れり。
之がため日本の宗旨には古来某宗教はあれども自立の宗政なるものあるを聞かず。
某威力の源を尋れば宗教の威力に非ず、唯政府の威力を借用したるものにして、結局俗権中の一部分たるに過ぎず。
某教は悉皆政権の中に摂取せられて、十方世界に遍く照らすものは、宗教の光明に非ずして、政権の威光なるが如し。
従来僧侶が肉を食わず、婦人を近づけざりしは、某宗教の旨を守るがためには非ずして、政府の免許なきがために、勉めて自ら禁じたることならん。
是等の趣を見れば、僧侶はただ政府の奴隷のみならず、日本国中既に宗教なしと云うも可なり」
先ずは自ら・・・宗教と決別することである。