決別二日目

拝金主義とは本来、宗教の言葉である。
金を拝む、つまり崇拝するほどの高貴な対象であるわけだ。
宗教には、偶像崇拝する宗教と、偶像崇拝を禁止する宗教とに大きく分けられる。
現代の宗教は、ほとんど偶像崇拝する宗教であると言ってもいいだろう。
宗教とは目に見えない世界の話で、偶像崇拝することは宗教の本質に反しているにも拘らず、神を創造し、教祖が登場し、そして彼らを崇めさせ拝めさせる。
これは宗教の話ではなく、明らかにビジネスの世界の話である。
ビジネスの世界では、神はお金だ。
宗教の世界では、ヤーヴェ(エホバ)の神やら、父なる神やら、アラーの神やら、八百万の神やら、それぞれ好き勝手な神を創造しているが、ビジネスの世界では、お金が絶対の神だ。
キリスト教世界でも、イスラム教世界でも、仏教世界でも、ビジネス世界である限りは、お金が絶対の神だ。
宗教の世界ではどんな神でも認めているのに、ビジネスの世界ではお金だけが絶対なる神になっているのは何故だろうか。
宗教、信仰などと人間は表面的には崇高なことを嘯いているが、誰にも見られない自己の内面では神など信じていないのである。
人知の及ばない存在を認めるかどうかの判定を、この範囲まで深く洞察して見極める必要がある。
教会や神社仏閣に行って拝んでいればいいわけではない。
飽くまで自己の内面の問題であり、自己の内面を知っているのは唯一自分だけであり、神や教祖などを拝んで一体何になるのか。
まさに狂気の沙汰である。
人間はみんな目に見えない神の存在など実は信じていないのである。
ただ余りにも弱い人間である故に何かすがりたいものが欲しい。
史上最強の神、お金がそこに登場する。
しかし、それを堂々と言っては身も蓋もない。
本心を胸の中に隠して、神や仏や教祖を拝むように見せかけているだけである。
すべての人間の深層真理に深く根ざしている拝金主義。
これは、ビジネスの世界の話ではない。
本来の宗教の世界の話に切り込まない限り、人間の心に根深く浸透している拝金思想を打破することは出来ない。
拝金主義が人間社会を根底から破壊する段階に既に突入している。
『自分だけは、そうではない』と思っているわれわれだが、もう一度、誰にも見られない自分だけの王国である『心』の中を点検してみる必要がある。
先ずはお年寄りと子供たちから・・・絶対神であるお金と決別することである。