決別十六日目

拝金主義が高じてくると、価値基準を何でも金の額に変えて判断するようになる。
我が国はいまデフレ状態に陥って、モノの値段がどんどん下がっている。
モノの価値が下がると、モノを購入する手段である金の価値が反対に上がっていく。
金は本来モノの交換手段として生まれたのであって、モノの価値を決めるのは需要と供給のバランスに依るものである。
市場は需要と供給が出会う場所であり、モノの価値を決める場所である。
株式市場は株券というモノの交換市場であったわけだが、今や需要・供給の原理原則は完全に崩れてしまった。
金というモノの交換手段がモノそのものになってしまったからだ。
金融商品とは、その名の通り、金が商品つまりモノである。
しかし金を食べて生きて行くことは出来ない。
大自然には食物連鎖という法則が厳然と働いている。
ライオンがシマウマを食べ、シマウマは草を食べ、草は死んだライオンを食べて、自然は循環している。
すべての物質が保有するエネルギーの総量は不変で、その形態が変わるだけである。
われわれがモノを食べて生きているのも食物連鎖という法則の下での行為である。
ところが金という交換手段が現れた。
人間の数の多さが物々交換を困難にした結果、新しい交換方法として貨幣が誕生したことまでは大自然も許容した。
この交換手段が大自然のモノの循環システムにまで侵入してくると大自然は黙ってはいない。
況してや金がモノの頂点に立ってしまったら、モノの循環システムは完全に崩れてしまう。
世界経済のメカニズムは金がモノの頂点に立った1985年以来完全に変わってしまった。
ところがわれわれは未だに景気、不景気と騒いでいる。
阿呆な政治家や役人は“消費需要を促す”、“公共事業投資によって景気回復”などと間抜けなことを言っている。
金が交換手段からモノに変わってしまったら、金独自の流れが出来てしまう。
市場はモノの流れが最も大きく速い場所を意味している。
世界で最も大きくて流れの速い市場が金というモノの市場だ。
1京円つまり10000兆円という他のモノを圧倒する大きさだ。
世界のモノの総市場規模は25兆ドル(3000兆円)である。
金のモノの市場が10000兆円。
金融商品ビジネスはレバレッジ(梃子入れ)によって100倍の額の流れまでつくってしまった。
モノの価値:金の価値は3000兆円:10000*100兆円=1:333になってしまった。
モノより金を欲しがるわけで最終的にはモノが流れなくなる。
それがデフレとして表れている。
いくら阿呆な政治家や行政が公共事業をしても333分の1の金の価値しか世界最大の市場は判断してくれない。
毎年30兆円の赤字国債を発行して金にしても、財務省主計局から各省に予算配分され、各省から日本国中にモノとして流れ出した時には333分の1つまり1000億円にもならない。
1000億円売上の企業程度の効果しか無い。
行政官庁のことを省と呼ぶ。
「省」の由来は、「為政者が自らをよく『省』み(かえりみ)、煩雑なことを『省』く(はぶく)ことによって、国民を『無事』ならしめること」から来ている。
自分たちの権力を維持する為に、煩雑な仕事を省くどころか、規制によって国民を抑えつけ、自らを省みることなく、天下りしておる省役人は国民にとっては、急ぎ働きの盗人猛々しいとしか思えない。
1985年以前の経済メカニズムであれば、デフレが高じればその後にはインフレがやって来る。
巷の書籍店では、近い将来インフレに転じハイパーインフレが襲って来るなどと世間を煽る本が出まわっているようだ。
拝金主義も極まった感がしてならない。
先ずはお年寄りと子供たちから・・・無駄使いと決別することである。