決別十五日目

二十一世紀は高度情報化社会の時代だ。
世界は地理的な拡がりから、想いの拡がりになって行く。
地理的な拡がりは距離と速度がその大きさになる。
想いの拡がりはすべてが一瞬である。
高度情報化社会になると、われわれの住む地球の何処にでも一瞬に行ける。
金を中心の財貨の動きも一瞬の時代に入って行く。
電子マネーなどはその典型である。
われわれが持っている財貨は未だにモノの感覚だ。
おかしな話だ。
人間同士の信頼関係と約束事ではじめて成立するのが電子マネーの時代であるのに、未だにわれわれはモノに執着している。
イラク戦争でサダム・フセインの次男がトラックに現金を積み込んで逃げたのは、モノしか信用していないからだ。
アメリカがサダム・フセインの所有していた金融資産を凍結したのも、信頼関係も約束事も知ったことではないということだ。
金を銀行に預け、土地はお上に登記して、われわれも安心している。
そんなものが砂上の楼閣であることはイラクの話で証明されているのに、われわれはまだ信用している。
そこへ高度情報化社会がやって来た。
ますますモノの時代ではなくなって来たわけだ。
それでもわれわれは金を拝んでいて果たして安全なのだろうか。
先ずはお年寄りと子供たちから・・・モノと決別することである。