新代日本

近代という時代区分は、唯物史観にも組みこまれており、近代という歴史区分の中の一部として現代、および、現代社会が存在する。
まさに、
現代とは、現在の代という意味での呼称であって、歴史の時代区分の一つの呼称ではないのに対して、新代は、古代→中世→近代→新代という時代区分の最先端にある時代区分と言ってもいいだろう。
日本の歴史の時代区分では、近代は明治維新以降であって、それ以前の江戸時代は中世でもなく近代でもなく、中世と近代の間という意味で近世という時代区分が特別に加えられたが、世界史レベルでは近世などといった時代区分は唯物史観においてもない。
まさに、
明治維新以降の日本の歴史を特別扱いするための時代区分である。
なぜ一体誰がそこまでしなければならないのか?
この疑問に対する答えを、日本建国の歴史観に見出すことができるのである。
初代神武天皇が即位した紀元前660年2月11日という根拠のないものを、日本建国の日と制定した連中がしたことである。
そして神武天皇を祀る神社が建てられた。
奈良県橿原市にある橿原神宮。
この最古であるはずの神社は明治5年に建立されたものである。
日本の正史である古事記や日本書紀が編纂されたのが8世紀前半なのだから、少なくともその時点で橿原神宮が建立されてもいいものが、なぜそれから1000年以上も経ってからでないと実現しなかったのか?
まさに、
その1000年の間の日本では、万世一系の天皇家など、誰も信じていなかった逆証明にならず、明治維新が如何に日本国民を洗脳することを必要としたのかの証明にもなるのである。
大英博物館にあるユダヤ百科辞典の中で、日本に関する記述があって、明治以前の日本と明治以降の日本はまったく別の国であり、そこに住んでいる日本人もまったく別人種であるという。
明治以後の日本人は、「天皇制国家」を確立するために洗脳された日本人であり、その洗脳作業としてつくられたのが、「皇国史観」と「教育勅語」なのであり、太平洋戦争敗北後、完全に消滅されるべきところ、温存されて現在に至っている。
すなわち、
精神は依然、明治維新時と同じ新日本人なのである。
そして、
この新生日本づくりを図ったのは、当時の世界を支配していた大英帝国であり、インドと中国という、当時では世界最大の経済大国を誇っていた両国を我がものにして、あと残すは、黄金の国を如何に手にするかだけが残っていたが、こういった大英帝国に遅れまいとしていたのがロマノフ王朝にロシアであった。
ペリーの黒船来航が、明治維新のきっかけをつくったと言われているが、ロシアはそれより半世紀前から日本にアプローチをしていた、否、ずっと過去から東北地方ではロシアは身近の国であった。
まさに、
陸奥宗光の真のミッションは、21世紀に入って顕在化しようとしているのである。

「風と雲」−完−