平成維新→平成デモクラシー

明治維新という命名自体が欺瞞以外の何者でもない。
大正デモクラシーとは自由民権運動と表裏一体の関係にあり、アンチ明治維新運動に他ならないなら、平成維新ではなく、平成デモクラシーと謳わなければならないはずだ。
「平成維新の会」、「維新の会」などといくら大上段に謳っても、しょせん、明治維新の欺瞞から脱却することのできない集まりなど、百害あって一利もないのである。
21世紀の日本、日本人にとっての唯一最大のキーワードは、平成デモクラシーに他ならず、延いては、昭和デモクラシーに他ならないのである。
明治と昭和の関係は、宗教と科学が同じ穴の狢である関係と酷似している。
逆説的に言えば、
大正と平成の関係は、自由と平等が本質的に同じである関係と酷似していなければならないのである。
明治という時代が日本国民にとって最悪の時代であったように、昭和という時代も日本国民にとって最悪の時代であったことを、今こそ、日本国民は認識しなければならない。
そうでないと未来の日本などない。
1946年10月16日。
占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの第三回目の会談で昭和天皇の発言が1985年で公開された。
“日本人の教養未だ低く、且宗教心の足らない現在、米国における「ストライキ」を見て、それを行えば民主主義国家になれるかと思う様な者も少なからず。”
この発言を当時一般の国民が知ったら、激怒したであろう。
なぜなら、
わずか1年数ヶ月前まで1億の日本人は、天皇制への限りない「宗教心」をもって「天皇の戦争」を戦っていたからである。
それが敗北に終わったのは、昭和天皇によれば、日本人が“教養未だ低く、且宗教心の足らない”ためであったからなのだろうか?
では、
我が子を死地に送った親のこの気持ちをなんと慮るのか?

空を染めてゆく、この雪が静かに
海に積りて、波を凍らせる
空を染めてゆく、この雪が静かに
海を眠らせ、貴方を眠らせる
手折れば散る、薄紫の
野辺に咲きたる、一輪の
花に似て儚きは、人の命か
せめて海に散れ、想いが届かば
せめて海に咲け、心の冬薔薇

老いた足取りで、想いを巡らせ
海に向いて、一人たたずめば
我より先に逝く、不幸は許せど
残りて哀しみを、抱く身のつらさよ
君を背負い、歩いた日の
ぬくもり背中に、消えかけて
泣けと如く、群青の海に降る雪
砂に腹這いて、海の声を聞く
待っていておくれ、もうすぐ還るよ

空を染めてゆく、この雪が静かに
海に積りて、波を凍らせる
空を染めてゆく、この雪が静かに
海を眠らせて、貴方を眠らせる

戦後日本で、最大の戦争責任者であるはずの昭和天皇が、実は生真面目で真摯に富んだ人物であると喧伝され、日本国民も信じ込んできたが、実はその裏で、嘗ての敵国で、原爆をぶち込んだ国の軍人の頭領に、“未だ知性、理性のかけらもないレベルの低い日本人ゆえ、アメリカのような民主主義国家になれるわけがない”と我が国民をこけ降ろしていたのである。
“国民の幸せを願って・・・”
敗戦後の天皇の枕詞になって、現在の平成天皇も、何かあれば“国民の幸せを願って・・・”とは嘯き以外の何者でもなく、そういいながら人間宣言をした人物は腹の底でベロを出していたことになるのである。