大正デモクラシーの正体

大正7年、大正天皇を差し置いて、裕仁皇太子が摂政に就任し、国家元首の実権を大正天皇から奪い取った。
中国の歴史観では易姓革命だが、日本の歴史観では維新劇だというわけである。
一体どちらが欺瞞に満ちた歴史観なのか?
易姓革命とは、農民百姓からでも実力さえあれば皇帝になれる絶対平等性がある。
維新劇とは、皇室の出自であればどんな阿呆でも天皇になれる絶対不平等性がある。
だから、
皇国史観のような詐欺的歴史観が捏造されるのである。
人間の歴史の始まりが神話から始まるという馬鹿さ加減であることは、現に、皇室の一員である三笠宮ですら呆れているのにである。
1894年から始まった日本史上の日清戦争は、世界史上では中日戦争と揶揄され、日清戦争は日本の防衛戦争と喧伝しているのに対して、中日戦争は日本の侵略戦争と非難されている。
こういった欺瞞に加担した歴史学者が司馬遼太郎であり、直接手を出した政治家が時の首相・伊藤博文と外相・陸奥宗光だったのである。
そして、
明治維新最大の元勲である西郷隆盛と手を組んで、自由民権運動を展開した板垣退助こそ、大正デモクラシーの旗手に他ならなかったのである。
まさに、
明治維新劇は、日本神道という原始宗教を国教にせんとする暴虐劇に他ならず、その実現のためには、日本および日本人のアイデンティティーまで捻じ曲げても厭わない売国奴の仕業に過ぎないのである。
まさに、
大正時代に入って日本はやっと民主的国家の産声をあげられる縁を得たが、それも束の間で、昭和時代に入って再びファシズム国家に成り果てたのである。
まさに、
近代日本史の中で一点のオアシスが大正デモクラシーの正体だったのである。