生まれ変わった日本

外国から見た日本。
日本から見た外国。
立場の違いで観点がまったく逆になり、結局の処、誤解を招く。
江戸時代までの日本は、外国から見た日本の立場であったため、攘夷思想が強く、鎖国政策を採っていたのである。
一方、
明治維新政府の日本は、日本から見た外国の立場であったため、開国思想が強く、挙句の果てに、売国奴が国を動かすことになったのである。
まさに、
ルネッサンス、宗教改革、産業革命という近代化の三種の神器を盾に、西洋が東洋を逆転した18世紀から19世紀という時代に、東洋を代表する大国であった中国とインドを足下に伏せさせた彼らの思想が、自国から見た外国の立場に置かれた結果であり、明治維新後の日本も例外ではなく、アジアで近代化を達成して唯一の国家として、その後の世界でアジアの頂点に立った気持ちでいた日本は、アジア諸国から裏切り国家に映っても仕方なかった。
だから、
人類史上唯一の被爆国家になっても、同情するアジアの同朋国家など一つもないどころか、いまだに、戦争賠償責任を全うしていないと非難囂々なのである。
東洋の立場(立ち位置)にありながら、西洋の視点で見る日本を、東洋の国々が理解してくれるべくもなかったが、それは仕方ないことであり、それよりも別の方法で彼らの理解を得る方法を考えるべきだった。
伊藤博文と陸奥宗光は、そういう点では、立場(立ち位置)が正反対だったのである。
極悪人のレッテルを貼られながらも、それなりの評価を国内では得てきた伊藤に対して、陸奥は完全に忘却の彼方に追いやられた形になってしまった。
その理由は一体何処にあるのか?
まさに、
外国から見た日本が新日本だったのか?
日本から見た外国が新日本だったのか?
この問いかけに対する回答こそがその縁に他ならないだろう。