外国という日本

明治維新以降の日本は、江戸時代までの日本とまるで違うことに気がつかなかったのは、当の日本であり、日本人であっただけで、外国のみんなは熟知していた。
こちらから見た景色と、あちらから見た景色では、同じ景色でも、まったく正反対に見え、結局、同じ景色と思えない錯覚に陥る。
まさに、
明治維新とは、こちらからあちらに移った現象であり、そういう意味では維新などでは決してなく、やはり、革命なのである。
現に、
大英帝国の首都ロンドンの新聞「タイムズ」では、明治維新劇のことを「日本革命」と紹介している。
1776年アメリカ革命。
1789年フランス革命。
1868年日本革命。
というわけである。
そして、
明治維新劇の実話を創造したのは、維新の元勲たちではなく、他でもない大英帝国自身だったのであり、その彼らが「明治維新(The Meiji Restoration)」ではなく、「日本革命(Japanese Revolution)」と自国では報道していたのである。
戦争の概念は、文明社会の黎明期であった12000年前に既に存在していたが、革命の概念が誕生したのは、近代に入ってからである。
まさに、
1776年アメリカ革命。
1789年フランス革命。
1917年ロシア革命。
・・・・・・・・・・。
ところが、
1868年の日本革命は、日本史上には存在せず、明治維新が代わりに居座っている。
まさに、
日本という外国の捉え方なのか?
外国という日本の捉え方なのか?
われわれ現代日本人は、一体どちらの捉え方をしているのだろうか?
そういう観点で、最近の中国の観光客の多い日本の光景を俯瞰したら、1980年代のバブル景気にのぼせあがっていた日本人が、海外で闊歩している姿が浮かびあがり、当時の日本と外国が逆さまになっていることに気づくだろう。