虚偽歴史家

坂本龍馬が正の夢物語の主人公なら、ナポレオン・ボナパルトやアドルフ・ヒットラーは負の夢物語の主人公である。
平易に表現すれば、
ナポレオン・ボナパルトやアドルフ・ヒットラーは、たとえ極悪人と世間から烙印を押されても、実体のある人物、すなわち、実像であるのに対して、坂本龍馬は虚像そのものなのである。
その違いは、歴史を記述した歴史家がホンモノからニセモノかの違いにある。
中国の国史は「史記」という一民間人である司馬遷によって記述されたものに対して、日本の国史である「日本書紀」は複数の役人によって記述されたという大きな違いがある。
如何に中国が国際的にも開放された国であるかの証左に他ならない。
中国文明の黎明期には歴代帝王の伝説があって、それを三皇五帝と言われているが、司馬遷の「史記」は、信憑性のない三皇は無視し、黄帝からはじまる五帝記から記述したし、明治時代の日本歴史学の大家が、司馬遷の記述した夏朝の歴代皇帝を偽りだと断言したのに対して、司馬遷が見事なまで正確に調べ記述していることは、その後の発掘調査で判明しているぐらい、史実を重んじている。
日本の歴史学の重鎮たちが一切クレームをしない、神話から日本建国の記述は余りにも稚拙である、その延長線上にあるのが明治維新の記述なのである。
その極みが、日本建国の歴史を嘘で塗り固めたのが明治維新政府である何よりの証拠が、初代神武天皇を祀る橿原神宮の創建が明治22年というお粗末どころか、厚顔無恥さにある。
日本ほど歴史を粗末にする国はなく、日本人ほど歴史を粗末にする国民はない、最大の元凶は、万世一系の天皇家という欺瞞にある。
天孫降臨などと馬鹿げた話を信用させる方もお粗末だが、そんな話を信用する方がもっとお粗末である。
司馬遷のようなホンモノの歴史家が輩出するか?
似非司馬遷のようなニセモノの歴史家が、世間を罷り通るか?
偏に、
ひとり一人の国民のレベルアップに掛っているのである。
まさに、
ホンモノの歴史家を生むのも、ニセモノの歴史家を生むのも、ひとり一人の国民のレベルに掛っているのであり、そういう点では、日本人は中国人よりも劣ることは否めない真実なのである。