坂本龍馬の正体

坂本龍馬ゆかりのものはすべて、昭和の時代につくられたものである。
まさに、
紀元前660年2月11日に即位したはずの神武天皇の陵が明治になってからつくられたものであるように。
昭和38年からはじまったNHK大河ドラマが、アジアの国ではじめて開催されたオリンピックに呼応するように、「龍馬がゆく」が翌年の昭和39年(1964年)の一年間にわたって全国のお茶の間を賑わした。
ナチス・ドイツのヒットラーが、ドイツの権威と己の権力を鼓舞するために、1936年にベルリン・オリンピックを開催したように。
しかも、
翌年の1940年には、アジア初の東京オリンピックまで設定されていたのが、開催地がヘルシンキに変えられたのである。
太平洋戦争が勃発したのは、1941年12月8日であったのに。
それに加担したのが、司馬遼太郎である。
だが、
司馬遼太郎は天下御免の大歴史家先生であるから、誰も手を出せない。
現代の世の中でも、NHKもクラシック音楽の大家も騙した、耳の不自由な作曲家が世に出られたのも、天下御免の大作家先生が裏にいたからだが、誰も手を出せないように。
坂本龍馬の生みの親は、まさに、司馬遼太郎に他ならず、その背景には、どす黒い陰謀が隠されていたのである。
司馬遼太郎一人では、とうてい為し得ないぐらい、深くて広い陰謀が潜んでいたのである。
このどす黒い雲を暴かない限り、明治維新以降の日本人は浮かばれないだろう。
そのためには、坂本龍馬の正体について言及しなければならないだろう。
坂本は、忌部家の枝分かれした姓名であり、四国がまだ死国と呼ばれてきた所以が忌部家にある。
まさに、
忌中の忌に他ならない。
西暦1600年の関ヶ原の合戦で敗れた四国忌部一族に代わって山内一豊が、徳川家康の命で土佐藩主となった。
坂本家は忌部一族と深い血縁関係があったが、山内一豊の陰謀で抹殺された一族の一つだっただけに、その恨みは想像を絶するものがあった。
一族の歴史が、歴史観の基本である。
そもそも歴史的認識の前提は、現代に関する自己認識にある。
事実を有するのは『今、ここ』だけで、その延長線に真実、真理、言い換えれば、現象を映しているのが現在であった、実体を表現しているのは『今、ここ』だけで、その延長線に本質が潜んでいるのである。
坂本龍馬の現象ばかりに捉われずに、その実体を見出さない限り、歴史の本質、すなわち、真理を発見できることはない。