近代化という欺瞞

歴史区分の代表的モデルは古代奴隷社会→中世封建社会→近代民主主義社会であり、暗黒の中世封建社会から近代的民主主義社会が実現したと、人類は自画自賛するが果たしてそうなのだろうか?
中世が封建社会だったから、暗黒の時代だったのか?
では、
封建社会とは一体どういう代物なのか?
封建とは一体どう意味なのか?
閉鎖された階級社会のイメージで一般的に持たれているが、封建の英語訳である“Feudalism”の真意は、上下の間に双務契約が成立する極めて開放的社会だったのである。
日本史における中世時代が織田信長の戦国時代までであり、徳川幕府による江戸時代を中世と区分けして近世と呼ぶのは明らかに誤謬がある。
なぜなら、
織田信長はまさに真の意味の封建制度、すなわち、上下の間の双務契約を実践していたのに、徳川家康は一方的な片務契約、すなわち、上司のためには部下は死ぬことも厭わないことを強制する絶対王政政治をしていたのであるから、近代に近い世代である近世どころか、古代奴隷制に逆戻りする新古代と言い換えた方が適切である。
更に、
近代社会は民主主義社会であって、資本主義社会と言われてきたが、ではなぜ第二次世界大戦の勝利者であった連合国軍に資本主義のアメリカと共産主義のソ連が連合していたのか?
なぜなら、
ソ連も民主主義国家だったからであり、敵側のドイツ・イタリア・日本の同盟国は枢軸国といわれるファシズム国家だったからである。
ところが、
民主主義国家だったソ連の指導者ヨゼフ・スターリンが独裁者に変身してしまった結果、ソ連は民主主義国家から全体主義国家になってしまい、冷戦に突入していった。
いかに言葉を濁そうが、太平洋戦争をしていた日本は天皇制ファシズム国家だった証に他ならない。
国民が悲惨な目に遭うのがファシズム国家の所以なのに、敗戦後の日本が現在に至るまで「天皇制」を許容している日本国民とは一体何者なのだろうか?
戦後責任を追求し続ける中国や韓国の言い分はここにある。
近代という歴史になって、国家や民族の歴史から、社会や大衆の歴史が注目を浴びだした。
その結果、
社会革命重視論と経済的基底還元論を特徴とする歴史観が近代、特に、20世紀の世界を席巻するようになった根源には、支配する者側ばかりを重視した歴史観から支配される側の歴史観の方が重視される時代になった。
そして、
マルクス主義歴史学、すなわち、「唯物史観」が20世紀に入って登場する背後には、支配される側の論理も水面上に浮かび上がってくる時代背景があった。
そういった時代背景の中で世の中の矛盾を敏感に感じとる若者が輩出するのも、やはり時代の流れであった。
そんな近代化の欺瞞の渦の中から、流罪島であった四国と陸の孤島化された紀州という水面下に抑圧されてきた場所からエネルギーが吹き出すのも歴史の必然かもしれない。