出羽=ロシア

第二次世界大戦の終戦会議がベルリン郊外のポツダムで行われた時、ソ連の代表者スターリンは、日本列島の分割を提案した。
名古屋から以西と以東に二分して、以西はアメリカが治め、以東はソ連が頂くという。
急逝したフランクリン・ルーズベルト大統領との間の密約がヤルタで交された余韻なのである。
歴史に“もし”はないが、もしルーズベルトが急逝せずに、ポツダム会議にも出席していたら、日本はドイツや朝鮮半島のように、東西に分断されていただろう。
ロシアにとっての日本の東北地方は、北海道も合わせてシベリアの延長線上の地なのである。
12000年前の氷河期の終焉がなければ、中国の山東半島および遼東半島と朝鮮半島と九州島が地続きだったように、カムチャッカ半島と北海道および東北地方の日本海側、すなわち、出羽の地は地続きだったのである。
スターリンは、シベリア極東地域に、日本列島の北海道だけではなく、本州島の東北地方まで組み込みたかったのである。
現に、
出羽(Derusa-Warusa)という命名は極東ロシアを意味していたのである。
北方四島がすべて日本の領土になったのは日露戦争以降だから、1905年からの話で、現に、歯舞島、色丹島では太古の昔から原日本人が住んでいたかもしれないが、択捉島、国後島には、日本人は現に住んでいないし、痕跡すら無い。
朝鮮半島と日本列島の区分けが、12000年前まではなかったのである。
シベリアと日本列島の区分けが、12000年前まではなかったのである。
朝鮮国と倭国の区分けが、12000年前まではなかったのである。
そして、
出羽地方はロシアだったのである。
まさに、
秋田美人の依拠するところは、世界で一番美女の多い国がロシアであったことと共通するのである。
日本列島、
すなわち、
北海道島、本州島、四国島、九州島を中心にした国が日本という名の国として括られてきたが、それはしょせん明治維新以降の歴史観に基づいていただけで、江戸時代以前の歴史観では、日本列島という概念はなかった。
やはり、
明治日本は、建国200年に満たない若い国だったのである。