面従腹背国家

中国や韓国、そして、北朝鮮が大東亜戦争の責任をいまだに日本に追求するのに、日本は太平洋戦争の結末で冒した人類最大の罪である原爆投下の責任をいまだ嘗てアメリカに追求したことがない。
まるで、選挙違反追求のメカニズムそのものである。
選挙に当選した者は、いくら選挙違反してもお咎めがなく、選挙に落選した相手には無理やりでも追求する。
勝てば官軍、負ければ賊軍である。
やった内容は一切考慮に入れないのが、政治世界の常識である。
日本は太平洋戦争に負けただけではなく、第二次世界大戦においても負けたのである。
第二次世界大戦に敗北したドイツは、その後の戦争責任をヨーロッパ全体に対して負うたから、欧州連合(EU)に参加して、欧州連合(EU)共通の教科書普及にも積極的に加わり、第二次世界大戦の時代の責任問題を公にしようとしている。
それに比べて、
第二次世界大戦の同じ敗戦国である日本は、いまだに、自国の歴史教科書で、「南京問題」などなどまるで存在しなかったごとく無視しているのである。
日本の戦国時代にやってきて、キリスト教の布教の名の下、スパイ行為をしていた宣教師たちの見た日本人像では想像もつかないほど姑息な、明治維新以降の日本人観が生じた理由は一体何なのか?
天皇家を中心にして、藤原一族のような、いわゆる天皇家外戚で取り囲まれた支配者側勢力と、欧米列強という新規支配者側勢力が同盟を結んだ、新しい形態の支配・被支配二層構造社会が原点にある。
19世紀が20世紀以上に激動の世紀であったのは、日本の常識ではなかったが、世界の常識であった。
なぜなら、
東洋と西洋がどんでん返しした世紀だったからである。
日本の19世紀は、徳川政権が最後には崩壊するものの、政治的には安定していた時期だった。
一方、
西洋世界では、16世紀にはじまった近代化がいよいよ佳境に達したのが19世紀であり、第二次産業革命が起こった世紀でもある。
現在の科学界で利用されている基礎理論はほとんど19世紀に発明・発見されたものであり、その大半はその後の世界の覇権を握っていくイギリスとアメリカによって為されたものである。
爾来、
日本という国は、イギリス、アメリカに隷属する国であり続けた。
太平洋戦争で負けてから、奴隷国家になったのではなく、明治維新以降から奴隷国家になっていたのである。
そしてそれに加担した日本人が多くいた。
まさに、
明治維新以降の日本は、面従腹背国家そのものだったのである。