アジアの裏切り国家

戦争に勝利国も敗戦国もない。
あるのは、常勝支配者側と常敗被支配者側があるだけだ。
太平洋戦争で勝利したのはアメリカで、敗北したのは日本ではなく、勝利したのはアメリカと日本の支配者側で、敗北したのはアメリカと日本の被支配者側である。
現に、
嘗て、そして、以後も前例のいっさいない大統領の三選を目論むフランクリン・ルーズベルトにアメリカ国民は、“もう戦争はいやだ!”と最後通牒を突きつけたにも拘わらず、アメリカ国民を騙して戦争を惹き起こされ、自分たちの息子を戦死者として通知された親たちは、勝利者と喜べただろうか?気分は敗北者であったに違いない。
原爆を投下されながらも、そのことを仕方なかったと厚顔無恥にも公衆の面前で平気で嘯き、太平洋戦争で敗北した日本の支配者側の総帥であったにも拘わらず、生き延びてこられた昭和天皇の腹の底は、果たして敗北者であっただろうか?気分は勝利者であったに違いない。
殺人を犯した者が、裁判で無罪を得たら、やはり、勝利者の気分になるに違いない。実際に殺人を犯していても。
戦争は一見、国同士の争いと見えるが、実のところは、戦争をする度に得をする者は、勝利国、敗戦国に拘わらず、支配者側の連中と相場が決まっていることを、被支配者側の一般国民は、そのレベルによって気づいている節があり、大統領に“もう戦争はいやだ!”と最後通牒を突きつけたアメリカ国民のレベルは、その域に達していたのだろう。
国家の年齢は高々200年であっても、国民国家の国民としてのレベルは、公式では2600年以上の歴史を持つ日本人のレベルよりも遥かに高かったのである。
いくら当時の為政者たちが戦争回避に努力していたとしても、そんな問題はたかが知れている。
重大な問題は、子供まで含めた日本国民が、アメリカを鬼畜と蔑んでいた事実であり、そのレベルの低さという事実である。
国民、つまり、一般大衆のレベルアップは、政治や経済といった人為的手法で為されるものではなく、自然的手法で為されるものである。
言い換えれば、
自然の流れに従わなければならない。
そういう観点からすると、江戸時代までの日本はそうであったが、江戸時代を否定することからはじまった明治維新以後の日本は、余りにも人為的手法に頼り過ぎた。
裏を返せば、
欧米列強帝国主義の猿真似をして、近代国家建設に躍起となったからであるが、その結果、日本の伝統が大きく損われていったのである。
しょせんは猿真似である。
メッキはすぐ剥がれた。
当初は近代化に成功した日本を、アジアの国々は憧れと尊敬の眼で見上げた。
19世紀の初頭には、世界の二大経済大国であった中国とインドでさえも、日本を尊敬していた。
インド独立をマハトマ・ガンジーと共に指導し、独立後のインド建設の父と呼ばれたジャワルラル・ネールは、そんな日本をアジアの星として期待していたにも拘わらず、日本はその期待を裏切ったのである。