歴史のからくり

後世に真実を伝えるのが歴史の使命である。
後世に真実を伝えるのが歴史の使命だが、使命を果たしてきた人類は古今東西ひとりもいない。
そういう観点からすると、史実と称せられる公式歴史書ほど、人類の使命から逸脱しているものはない。
人の世がよくなっていくのか、悪くなっていくのかのバロメーターは偏に、人類の使命が果たされているかどうかにかかっていると言っても過言ではない。
5000年の歴史を誇る中国では司馬遷の「史記」が国史であるが、やはり使命を果たしていない。
西欧社会では聖書と並び称せられる書籍として、イギリス人歴史家エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」があるが、ローマ五賢帝時代が、人類史の中で燦然と輝く「最も平和な時代」であったと主張した。
「パクス・ロマーナ」、延いては、「パクス・ブリタニカ」、「パクス・アメリカーナ」という言葉まで生み、ローマ帝国統治下の世界平和、大英帝国統治下の世界平和、アメリカ合衆国統治の下の世界平和と嘯いたが、現実には、20世紀では二つの世界戦争が惹き起こされ、犠牲となったのは、勝利国・敗戦国に拘わらず被支配者側である国民であり、真の加害者は、将又、勝利国・敗戦国に拘わらず支配者側であったという事実だけであり、エドワード・ギボンも使命を果たしていない。
更に最悪なのは日本の歴史。
日本史を公式に語る「日本書紀」なのに、国家建設という初っ端から嘘をつく始末である。
紀元前660年を「皇紀元年」と嘯く厚顔無恥さには呆れる。
初代神武天皇が即位した年を「皇紀元年」とするならまだ可愛げがあるが、初代神武天皇が百二十八歳まで生きたのを筆頭に十代崇神天皇が百二十歳といった子供騙しレベルの歴史観である日本史の学問的価値はまるでない。
そんな「日本書紀」が当時の外国、すなわち、朝鮮半島および中華思想の国向けの公式歴史書として編纂されたとは笑止千万も甚だしいのである。
どうやら、
歴史とは典型的な「からくり道具」に他ならないのかもしれない。