(If)もしも・・・

大久保利通の遺言通り、(If)もしも、大坂が首都になっていたら、現代日本はどうなっていただろうか。
日本史上最大の悲劇である被爆体験はしなくて済んだだろう。
なぜなら、
京都を中心にした関西地方の歴史が1500年以上あるのに対して、東京を中心にした関東地方の歴史はしょせん江戸時代以降の400年程度である事実は、それだけ国際性の差となっているからである。
江戸時代期の大半が鎖国状態に置かれていた理由は、江戸という町の国際性の乏しさにあったからで、江戸徳川幕府の黎明期に天草四郎による「島原の乱」が起こった長崎は、鎖国状態での唯一の国際性を持った町ゆえ、キリシタンが多くいたのである。
「島原の乱」でキリシタンが徳川幕府に殲滅されていなかったら、キリスト教信者が1%程度しかいない現在の日本ようにはならなかっただろう。
当時の世界を制覇していたのは、欧米列強帝国主義者たちであるキリスト教圏の国々であり、彼らの帝国主義、すなわち、植民地政策の一環として、牧師たちを布教という建前の下、情報収集の役目を負わせていた。
その国の民をキリスト教信者にすることは、欧米列強たちの植民地政策の第一歩に他ならなかったのであり、隣の韓国の人たちの半数がキリスト教徒である事実と、日本での1%程度のキリスト教徒の差は、まさに、国際性の浸透率の差と言っても過言ではない。
日本の植民地政策(1911年の朝鮮併合)から韓国が1945年に独立を成し遂げて以来、アメリカに敗北した日本(1945年)と同時期にスタートした両国の戦後欧米化は、ロスアンゼルス在住の日本人が数万程度しかいないのに対して、韓国人は数十万人もいる現実が、両国の国際性の浸透率として表われている。
世界の言語から孤絶した言語である日本語、朝鮮語だが、日本人よりも英会話力が格段に優れている韓国人が国際性においても優れている証左に他ならないのである。
キリシタン禁止をしていた江戸鎖国時代は、まさに、世界の僻地の証明に他ならず、イギリスから独立したアメリカも当初は鎖国主義を取っていたのと酷似している。
徳川家康が江戸に幕府を開いたのが1603年であるから、爾来、現在に至るまで400年余り、日本の首都であり続けた江戸(東京)は、豊臣秀吉から移封を命ぜられた家康が手塩を懸けて育てた町である。
三河(現在の岡崎)領主の嫡男として生まれた家康だったが、強大な勢力を誇っていた駿河の今川に、青年時代に人質生活を送っていたが、桶狭間の合戦で織田信長に敗北した今川義元亡き駿河を拠点にして、着々と国づくりをしていた矢先の移封命令であったが、家康は秀吉の命に従ったのである。
現在の世界的大都市、東京誕生劇の始まりである。