大久保利通の遺言

京都は今でも日本の正式の都である。
東京は表向きの日本の都である。
そして、
大阪は裏向きの日本の都である。
西郷隆盛の影武者としての大久保利通は、大坂を表向きどころか、正式の都としようとして暗殺された。
大久保の意向を受けて、五代ほか薩摩ナインティーンの連中は大坂に入った。
大阪商法会議所を設立するのが目的であったが、その背景には、大坂の民間人の活力を利用する点にあった。
一方、
桂小五郎の意向を受けて、伊藤博文ほか長州ファイブの連中も大坂に入った。
大坂造幣局を設立するのが目的であり、飽くまで、お上の威光の下に大坂を金融の街にする点にあった。
明治以降の日本を表現する上で一つの切り口が、近代化を目差す上での二つの道筋にあった。
所謂、欧米列強が世界を闊歩した時代の近代化への二本の道である。
経験主義哲学に基づく自由主義・資本主義社会の道と、合理主義哲学に基づく啓蒙主義・社会主義社会の道の二本である。
大久保の意向を受けた五代ほか薩摩ナインティーンは、経験主義哲学に基づく自由主義・資本主義社会の道を模索したが、桂小五郎の意向を受けた伊藤博文ほか長州ファイブは合理主義哲学に基づく啓蒙主義・社会主義社会の道を目差した。
明治維新のボタンの掛け間違いがここで起こった。
欧米列強の覇権争いは、経験主義哲学に基づく自由主義・資本主義社会を標榜するイギリスとアメリカが大きくリードし、合理主義哲学に基づく啓蒙主義・社会主義社会を標榜するフランス、ドイツ、ロシアは後塵を拝していたにも拘わらず、日本では桂小五郎の意向を受けた伊藤博文ほか長州ファイブが目差した合理主義哲学に基づく啓蒙主義・社会主義社会の道が断然有利に推移していた。
その結果が、東京首都構想である。
歴史に「if(もしも)」は無いと言われるが、もしも大久保利通が暗殺されなかったら、東京と大阪は今では逆さまになっていたかもしれないのである。