維新前の日本から維新後の日本へ

藩籍奉還。
江戸時代までの日本はアメリカ合衆国と同じ国体であった。
州と藩という名称の違いだけで、質は同じだった。
江戸徳川幕藩体制では、300以上ある諸藩が自治体として藩民を支配していて、徳川江戸幕府は各藩主を管理していればよかった。
まさに、
藩民は藩主の所有物だった。
藩籍奉還とは、藩民と土地を朝廷に返還することに他ならず、大政奉還よりも実質上の重みのあるものだった。
やっと日本も国民国家の地盤つくりがはじまったと言っても過言ではない一大事件であった。
国民国家が近代民主主義社会の根幹とするなら、都市国家は文明社会の根幹を成すものである。
文明社会の黎明期の一番の出来事はやはり文明的事象の出現であって、その役割を担っていたのが国家としての都市の発展であり、国家の原点に都市国家があった。
都市国家の発生なき場所に文明は誕生しなかったのである。
古代エジプト、古代メソポタミア、古代インダス、古代中国、そして、古代ギリシャ、古代ローマといった古代文明誕生には、かならず都市国家が先ず誕生しているのに対して、日本や東南アジアや海洋世界に文明が発生しなかったのは、精神革命が起こるほど、厳しい環境ではなかったからだ。
加えて、アニミズム的自然崇拝の信仰から、政治色が加わる宗教に移行するのも文明の勃興と微妙に関わっている。
紀元前3000年前頃にシュメール文明が発生したのを皮切りに、それがメソポタミア文明と発展し、楔型文字が誕生、有名なハムラビ法典がつくられたのが、今から5000年前である。
一方、
日本で独自の文字がつくられたのは西暦8世紀の頃であるから、世界史レベルから遥かに遅れて、文明の勃興があったわけで、それが近代化となると、明治維新以降のことで、高々160年前の出来事だったのである。
近代化を政治レベルで論じれば民主化のことであり、国民国家に逸早くなれるかが近代化のバロメーターになることを鑑みれば、日本の近代化は明治以降ではなく、太平洋戦争敗北以降、すなわち、1945年以降であって、高々60数年の歴史しかない国である。
皇紀元年が西暦紀元前660年などと嘯くことなど、高度情報化社会にあっては荒唐無稽を飛び越えて、笑止千万の話である。
紀元前509年から紀元前27年まで続いたローマ帝国の爪の垢を煎じて飲んでも依然、月とスッポンの差ほどあるのが、明治維新後の日本であることを、現代日本人は自覚しなければならない。
大東亜戦争の責任を中国や韓国がいまだに追及するのを、揶揄するような日本人であってはならない。
第二次世界大戦に敗北したドイツは、ヒットラードイツの戦争責任をドイツ国民としてとことん受容してきたのに、同罪の国家元首がぬけぬけと人生を全うした日本が、戦争責任をとことん追求されるのは当然の帰結である。
この際、明治維新以降の日本を総括し、新生日本のスタートを切るべき時期が来ていることを、一億総日本人が自覚するべきであろう。