英雄の歴史=凡人の歴史

歴史の英雄は表舞台で活躍することを以って常とするが、時の経過と共にその欺瞞性ゆえ必然的に色褪せてゆき、ゆき着くところ、裏舞台で活躍してきた影武者がその本質ゆえ必然的に炙り出されてゆく。
その時期が、1000年後なのか、100年後なのか、10年後なのかを決定するのは人間ではなく、地球自身にあることを決して忘れてはならない。
なぜなら、
ひとり一人の人間を束ねて一つの人間意思として制御しているのが他でもない地球自身だからである。
そしていま、およそ200年という時間と、京・江戸・紀州という空間から京都・東京・大阪という空間の狭間での「時空間」が時期到来の鐘を鳴らしはじめたのである。
京都は今でも日本の正式の都である。
東京は表向きの日本の都である。
そして、
大阪は裏向きの日本の都である。
西郷隆盛の影武者としての大久保利通は、大坂を表向きどころか、正式の都としようとして暗殺された。
坂本龍馬の影武者としての陸奥宗光は、その後も歴史的英雄の影武者を演じながら、現代日本の中でも息づいている。
大阪市内を南北に走る堺筋の北の端にある北浜には、東京兜町の東京証券取引所と並び称せられる大阪証券取引所のビルがある。
その正面に飾られている人物こそ、現代まで息づいている影武者・陸奥宗光に他ならない。
その人物の名は五代友厚である。
明治維新の大きな波を受け、大阪経済は低迷していた。
金主体の東京に比べて、銀主体の商取引の廃止や藩債の整理による富豪や両替商の資産消失が大阪低迷の主な原因であった。
この事態を打開し大阪経済の復活を願って財界指導者の有志15名が明治11年7月に大阪商法会議所設立の嘆願書を大阪政府に提出した。
これが今日の大阪商工会議所の礎となるのである。
設立背景は、国内に事件がおこると常にドサクサに紛れ悪辣な金儲けをする者が増えるのを防ぐため、また互いを助け合うために実業家たちの一致団結による協力と意見交換の場が必要とする考えに起因していた。
嘆願書の集め方は五代らしい強引な勧誘で、決定的文句は「万が一、後に会へ加盟を申し込んでも拒絶、もしくは巨額の入会費を徴収する」で、結果的に60人の同志を獲得した。
初代会頭は五代友厚がなり、大阪商法会議所を設立した目的は大阪の実業家の相互扶助によって新時代の潮流に棹差し大阪商人の伝統である信用第一主義に則り以って自己の利益を増すと同時に大阪の繁栄を軸に国富の増強に資するといった教育勅語的な趣旨に基づいた遠大な意図だった。
役員の構成は、五代を初め計11人が創立委員となり鴻池善右衛門、三井元之助(後の三井財閥)、広瀬宰平(後の初代住友総理人)らの150株を筆頭に皆で立ち上げた。
五代は初代会頭として生みの子の育ちいく姿をみて「大阪が日本の産業と金融機関の中枢になるのはすぐだ」と呟いた。
まさに、
歴史を動かしてきた真の主人公は、表舞台に決して登場しない凡人の中に埋もれている証左に他ならない。