陸の孤島=紀伊半島

関東に房総半島。
関西に紀伊半島。
いずれも陸の孤島と呼ばれている地域だが、房総半島は明治維新によって日本の首都が東京に移って陸の孤島の蔑称から逃れることができたが、紀伊半島は現在でも依然、陸の孤島のままだ。
地政学上仕方ない面もある。
大きな半島であるからだ。
大きな半島の腋の位置には、文明が必ず誕生するのが、地政学上で証明されている。
古代エジプト文明、古代メソポタミア文明、古代インダス文明、古代中国文明で栄えた都市は、必ず、大河が海に流れ出る河口の三角州デルタで誕生する。
広大な平野が創出されるからである。
だが皮肉なことに大文明を創出する地政学的条件を満たす大半島の大半の地域は逆に陸の孤島と化す。
紀伊半島は、琵琶湖の腋にあたる京都と、淀川が大阪湾に出る腋にあたる大阪という大都市を創出した所以で、紀伊半島は陸の孤島の汚名を今でも着せられている。
陸奥はムツともミチノクとも呼ばれ現在の青森と岩手と宮城と福島を指し、現在の秋田と山形を合わせた出羽の国と共に東北地方のことを奥羽地方と呼ぶようになったように、紀伊の語源は、現在の和歌山の紀州と三重の伊勢の組み合わせから来ている。
伊勢・志摩・伊賀の三つで三重というわけだが、一番大事な字が「紀」にあり、日本のルーツも「紀」からはじまっているらしい。
「紀(キ)」はフェニキア人を意味し、4500年前にはるばる地中海から舟で紀伊半島にやって来たというのである。
日本語の「舟(ふね)」はフェニキア(Phoenicia)が訛って(Poeni)が(Fune)になったと言う。
日本語の仮名の「いろは」も英語の語源であるフェニキア語を語源とする日英両語同祖論まであって、日本語と英語の間には「本当」と「Found」、「そっと」と「Soft」、「そろそろ」と「Slow」、「かばう」と「Cover」、「名前」と「Name」など概念(意味)と音韻(発音)が一致しているのは、日韓両語同祖論と相俟って日英韓三語同祖論まで発展したとも言う。
その中心文字が「紀」にあって、フェニキア人のことを古代日本では「紀人」と呼び、延いては「紀氏」となって紀伊半島の八幡社の代々の宮司は「紀氏」で、天皇家よりも遥かに古い氏族である。
「華岡清州の妻」の作家・有吉佐和子はフェニキア人の日本渡来説を主張していた人物で、“人類は300万年昔、アフリカで生まれているのよ。原日本人がフェニキアからきたところで、驚くにはあたらないわよ。木の本というのは木の根本ね。紀州こそ日本人のルーツよ”と主張してなんら憚らなかった。
徳川御三家の一つに紀州を選んだのも肯ける。
だが、
紀伊半島は今でも陸の孤島なのである。

陸奥宗光はそんな陸の孤島で生まれた。
徳川幕府260年の歴史は、中国の唐朝に匹敵するぐらいの長期政権だった理由のひとつに鎖国政策があったが、鎖国政策を堅持する上で重要な戦略に、世襲制があり、世襲制を堅持する上で、御三家制度は奏功したと言っても過言ではなく、紀州藩が御三家の一翼を担えた理由が、まさに、地政学的な陸の孤島の紀伊半島の存在にあったからだ。
日本の国家建設の黎明期に登場する邪馬台国畿内説の畿内とは、紀伊半島のことを指し、その後の大和朝廷による天下統一も、やはり、紀伊半島の地政学的優位性を発揮した点にある。
「宋書」の(倭国伝)で描かれている日本(当時は倭国と呼ばれていた)には、百以上の小国が群雄割拠する時代で、そこから「倭の五王」がやっと輩出した時代であった。