超越国家

プレスタ・ジョンが住んでいたインドに悠久の憧れを持っていた西洋社会の中で、とりわけ、大英帝国の想い入れは大きかった。
インドではじまり、中国で育ち、日本で花が開いた仏教の歴史は、古代→中世での出来事であった。
釈迦が開いた仏教の教えという種はインドでは花が開くどころか、種から芽が出ることもできなかった。
紀元前1000年頃にペルシャからインド亜大陸に侵略してきたアーリア人が、先住民だったドラビダ人を完全支配するために考え出した階級制度(カースト)が存在する限り、仏教の教えを広めることが不可能であることに気づいたボーディーダーマ(達磨大師)は、種から芽を出すために、仏教を中国へ運んだ。
ボーディーダーマ(達磨大師)の9年間の洞窟での座禅の話は、中国でのことだった。
だがせっかく中国で芽を出した仏教だが、芽が幹になり、幹から枝葉が育ち、やがて、花が開くまでは行かなかった。
それは中国という国が、種から芽を出し幹にまで育つ土壌はあったが、幹から枝葉が育ち、やがて、花が開くための太陽からの光が届かない場所だったからである。
そこで、修行に来ていた空海や道元によって仏教は日本に運ばれ、やがて、日本で禅仏教として開花したのは、日本という国が、インドのような種を生み出す内向性のみでもなく、内向性と外向性の両面を持つ、いわゆる中庸の精神を持つ中国でもなく、外向性のみを持つ場所だったからである。
まさに、
古代、中世までの日本は外向性を強く持った国であった証に他ならない。
一方、
西洋諸国が台頭をはじめる近代に入って、インドで誕生した仏教が西洋で注目を浴びるようになると、インドではじまり、イギリスで育ち、アメリカで花が開くという現象が顕れた。
インドで種を生んだ教えを、インドの哲人クリシュナ・ムルティーが英国へ運ぶことによって芽を出し、アメリカのヒッピーたちが英国からアメリカへ禅仏教を持ち込むことで、西洋型禅を確立したのが近代という時代だった。
それは、大英帝国が中国と相通ずる中庸の精神を持つ国であり、アメリカは日本と相通ずる外向性を強く持つ国であった証である。
ところが、
大英帝国が、インド、中国を支配した水面下の動機がこの点にあったことを、誰も気づいていない。
中国に対しては自由経済主義を、インドに対しては文明社会を・・・
まさに、
文明とは、欧米列強文化に他ならないのである。
そしてその最終仕上げが、次の言葉に集約されている。

武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた・・・

世界の文化はアジアに始まって
アジアに帰る
それはアジアの高峰
日本に立ち戻らねばならない
われわれは神に感謝する
われわれに
日本という
尊い国を作って置いてくれたことを・・・。

最終目的はあらゆる国の歴史を抜き越えた日本だったのである。
では、
アインシュタインは一体何故1922年に日本に来たのか?
日本から招聘されたからである。
では、
一体日本の誰から招聘を受けたのか?
出版社・改造社の社長・山本実彦が、京都帝国大学の哲学教授・西田幾多郎のすすめによってアインシュタインの日本招聘を決めたのである。
では、
出版社・改造社の社長・山本実彦とは一体何者なのか?
鹿児島県出身(川内)の帝国議会議員であった。
まさに、
薩摩隼人に他ならなかった。
まさに、
武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた・・・国家こそ、日本に他ならなかったのである。