一大資源国からの凋落

江戸時代260年の歴史は鎖国時代の歴史でもあった。
大きな支配勢力の鎖からやっと解き放たれて、自国の充実を計る時期には、殆どの国で採られるのが鎖国政策であり、江戸時代260年の鎖国の日本の歴史も、30年も続いた応仁の乱以後の戦国の世からやっと抜け出した時代背景があったからだが、観点を変えれば、鎖国政策を採ることができる国は、土地が広くて、資源が豊富であることが条件になる。
広い国土を持ち、豊富な資源を持つ国は世界でも少ない。
ロシア、カナダ、アメリカ、中国、ブラジルといった国がそうである。
これらの国のような地政学的好適条件を持たない日本が自給自足の鎖国政策を200年以上も維持できたのは一体何故だろうか?
当時の日本は、資源として最も価値が高い金(ゴールド)の世界有数の産地であったからだ。
現在における世界の金(ゴールド)の総量は155,500トンである。
黄金の国ジパングとマルコ・ポーロの「東方見聞録」で紹介された当時の日本は世界有数の金産出国で、奥州平泉の藤原三代時代がモデルとなったようで、当時の奥州地方から莫大な金が産出していた。
その後、佐渡金山をはじめとする日本から掘り出された金の総量は、155,500トンの中でまさに文字通り大きなウエイトを占める。
佐渡金山が発見されたのは慶長6年(1601年)で以来明治22年(1889年)までの間に3、600トンの金を発掘したといわれ、当時、世界一の金山であった。
21世紀に入った世界の金の状況は、年間生産が2500トン、年間需要が4000トンと需要が生産を上回っている中、中国の進出が急激に起こっていて、過去のほとんどにおいて最大の金需要国だったインドを抜き去り、年間需要1000トンを超え、生産量においても世界一の年間生産は500トン近くに迫っている。
黒いダイアモンドといわれる石油が20世紀初頭に発掘されてから、オイルダラーという名称までつき、中東産油国の盟主になったサウジアラビアだが、黄金の国ジパングは宛ら19世紀サウジアラビア版であった。
資源のない国・日本のイメージは、欧米列強によって黄金を収奪されるまでの日本にはまったくなく、寧ろ、大国ではないが、サウジアラビアのような、たまたま資源に恵まれた国だったゆえ、200年以上もの鎖国政策が採れたのである。
まさに、19世紀の世界では、日本は資源国だったのである。
そして、
資源国=豊かな国=鎖国する国が、当時の世界では常識であった。
逆に言えば、
交易(貿易)する国は、非資源国=貧しい国=開国した国が、当時の世界では常識であった。
まさに、
シルク・ロードとは、非資源国=貧しい国=開国した国がする交易(貿易)に他ならず、シルク・ロードの商人(いわゆる隊商)は100%ユダヤ人であったことが何よりの証左である。
国自体を失った彼らが、頼れる資源は自身の商才と金だけであったゆえ、世界の富の大半を占有できたのは、資源のない所以であった。
そして、
彼らユダヤ人は、世界を支配する帝国の中にヤドカリと巣つく習性を長い離散(ディアスポラ)期間に身につけ、19世紀の大英帝国の中枢奥深くに浸透していった。
まさに、
長州ファイブや薩摩ナインティーンは、彼らの餌食とされていった。
そして、
嘗ては資源国だった日本が、エコノミック・アニマルと揶揄されるようになったのも、明治維新から太平洋戦争敗北までの、およそ100年の間でのことだったのである。