明智光秀は半島人

125代続く万世一系の日本の天皇家の中で一番怪しい時代が、第26代継体天皇の時代だ。
第25代武烈天皇に子がいなかったため、第15代応神天皇の五代孫と「記紀」が記した男大迹(おほど)を第26代継体天皇にしたのであるが、男大迹(おほど)は越の国からやって来たとある。
越の国とは、富山県を中心に西側の福井県、東側の新潟県といった現在の北陸地方を指す。
富山県を中心に西側の福井県を越前地方、富山県を越中地方、東側の新潟県を越後地方と呼ばれる所以は、越の国から由来している。
越えるから越の国、富山県は文字通り、資産家の数が日本で圧倒的に多い県であるのと関係があるのだろうか。
一体何処を越えると言うのだろうか?
言わずと知れた半島を越えることに他ならない。
天皇家半島人説の最大の根拠が、継体天皇半島人説に端を発して以来にある。
天皇家が125代も堅持できた最大の所以が、継体天皇に起因するとも言われるほど、歴代天皇の中でも最大の影響力を持つ。
黄金の欽明朝と言われ、聖徳太子も欽明朝が生んだ偉人だが、欽明朝の大宗こそが、第26代継体天皇であり、第26代継体天皇が実質の天皇家高祖とも言われる所以である。
倭国と称せられた時代の日本という国は、日本列島だけの島国ではなく、朝鮮半島の南端である伽耶という地方を含んでいたから、島国根性だけの国では決してなかった。
半島が朝鮮半島と命名され出した歴史は浅く、それ以前では、北から高麗、新羅、百済、伽耶、地方毎に微妙に違う人種が存在する混沌半島であり、特に中国に最も近い高麗が、半島における覇権をほぼ握っていた。
その高麗から日本海を南下したところに越の国、富山県があり、当時の日本の玄関こそ越の国、富山県であったようだ。
越の国からやって来た継体天皇半島人説の根拠がここにある。
欠史九代の最後の天皇で、十代崇神天皇に繋がる開化天皇。
明智光秀の出自も今一つ不明だが、やはり、越の国からやって来たらしい。
織田信長という天下人との最初の接点が、当時の越前地方を支配していた朝倉家においてであった。
越前の大大名であった朝倉家の始祖は、第九代開化天皇に辿りつく。
武家の大名であった朝倉家が貴族趣味を持っていた所以であり、織田信長に桶狭間の奇襲攻撃で滅ぼされた駿河の今川家、明治維新最大藩として薩摩と覇権を争い、以降、現在に至るまで、一番多くの宰相を生んだ長州藩の山口県以前では、下関を中心に権勢を誇っていた大内家も貴族趣味が祟って滅びたが、やはり、天皇家との繋がりを誇りにしていた。
そして、天皇家との繋がりに命運を託していた大藩があった。
薩摩と長州である。
後の薩長連合の土台がここにあった。