伊藤博文暗殺劇

明智光秀。
日本史最大の悪人である。
まさに、
高野山・奥の院にある墓石がその証に他ならない。
何度置き換えても、明智光秀の墓石は真ふたつにヒビ割れする。
半世紀以上も戦乱の世が続いた戦国時代を終結に導いた武将を暗殺した人物で、織田信長は家来の明智光秀によって京都の本能寺で夜襲を受け1582年6月21日に自害した。
王朝支配が永く続いた朝鮮半島を近代韓国に導いた朴正煕大統領も、部下であるKCIA部長によって至近距離から射殺された。
朴暗殺事件はアメリカのCIAの工作であり、信長暗殺事件は正親町天皇黒幕説が濃厚であった。
欧米列強支配の近代社会よりも早く近代化を進める可能性を秘めていた世界で唯一の人物が織田信長であったにも拘わらず、家来の裏切り、しかも、当時の支配者側の頂点に立つ天皇家の謀略によって、世界の歴史が不幸な方向へ変えられたとするなら、織田信長暗殺劇は、世界史上最大の悲劇と言っても過言ではない。
太平洋戦争が、欧米列強諸国に対抗して、大東亜共栄圏構想を打ち立てたことだけなら、誰も反論はしなかっただろう。
大東亜共栄圏構想を打ち立てながら、同僚国を蹂躙したら反撥されるのは当たり前だ。
はじめに戦争ありきが、ありありと見えるからで、大東亜共栄圏構想など、しょせん、建前と見抜かれても仕方ないことを、日本の軍指導層はまるで自覚していなかった。
況してや、
大正時代に英国にまで留学し、帰国と同時に摂政として、大正天皇の代わりに国家元首代理を務めた昭和天皇なら、少しは国際感覚を持っていたはずだし、陸海空軍の総司令官の立場で外交における能天気さが許されるものではなく、戦国武将の中で、海外の事情も知らないのに、近代化に世界で最初に気づいた織田信長の爪の垢でも呑むべきだった。
武将同士では怖れられ、歴史上では神を怖れぬ大魔神と非難轟々の織田信長だが、民衆から圧倒的支持を得たのは、戦後の兵士の略奪・暴力を徹底的に禁じたからである。
こんなリーダーは世界史上でも、織田信長以外に見られない。
支配者側からしか事象を見られないのが、歴史上のリーダーたちの中で、被支配者側からの視点を持ち併せていたリーダーは奇跡と言っても過言ではない。
そんな織田信長の対角線上にいたのが、日本の初代総理大臣になった伊藤博文である。
伊藤博文の存在も、逆説的意味で、やはり奇跡的と言えるのかもしれない。
織田信長を暗殺したのが明智光秀。
伊藤博文を暗殺したのが安重根。
そして、
ふたりの間に共通点があった。