外交の天才

日本国のために貢献した多くの事件の中で陸奥宗光の特筆すべきものが、当時の中国王朝であった清国を戦争に引き摺り込んだことだった。
第一次世界大戦と第二次世界大戦が三十年戦争とひとつにまとめ上げられているのが真相であるように、明治に起こったふたつの戦争が、単なる日清戦争と日露戦争では片づけられない所以が潜んでいるからである。
太平洋戦争という名は勝者のアメリカ側が命名したもので、敗北者側の日本では大東亜戦争と呼んでいるように、日清戦争と日露戦争は勝利者側の日本が勝手に呼んでいるだけで、世界では、中国の対日戦争、ロシアの対日戦争と呼んでいるだけである。
当時の欧米列強諸国にとっては、記憶に留めおくのが精一杯程度の戦争でしかなかった。
それを世界史レベルでも日清、日露戦争(実際には、中日戦争、露日戦争と世界では呼んでいた)にまで格上げさせた最大の貢献者こそ陸奥宗光だった。
明治天皇の恩赦を轢きだした伊藤博文に大きな恩を着せられた陸奥宗光に与えられた任務は外交であったが、それは初代伊藤首相の下の外務大臣であった。
伊藤は長州ファイブの一員としてイギリスに留学していた経験があったにも関わらず、その風貌の貧しさが原因による外人コンプレックスで、異人との付き合いは苦手だった。
一方、
六尺近い陸奥宗光は、異人の中でも輝いていた。
女たらしでは、宗光も龍馬も人後に落ちないのは、彼らの配偶者の晩年をみれば一目瞭然である。
外交術の最大の要件は、この女たらし術に集約されるようだ。
逆に言えば、
阿呆の方が政治家に向いているという皮肉な現象が起こる。
現象・実体・本質の間を一本貫く弁証法の櫛とは、男女の関係に集約されるようだ。
政治家に愛妾がつきものである所以だ。
まさに、
英雄色を好む証に他ならない。
アジアの中で唯一、亜近代と西欧社会から揶揄されようが、近代化に成功した明治日本の軍備は、西欧社会から文明化を先ず果たすべきなのは司祭ヨハネの国インドであり、貿易の相手国としては中国と共に認められ、逸早く近代化に成功した日本と、アヘン戦争で疲弊しきっていた清とが戦争すれば、結果は火を見て明らかであったことは、清自体も承知していた。
まさに、
喧嘩慣れしているヤクザが、血を見ただけで真っ青になる素人を相手にしたのが日清戦争の実体だった。
それを戦争に引き摺り込んだのは、外交の天才、陸奥宗光が女たらし術を、選りにも選って朝鮮国王の妃に駆使したからである。
政治家、特に、外交家の必要条件はその外観にある。
外交術の要諦は調略にあると今でも外務省の連中は信じて疑わないゆえ、日本という国は最後に原爆を撃ち込まれて崩壊したのであり、本来なら、日本国自体がその時点で消滅していたはずなのに、今尚生き長らえていられるのは、偏に、冷戦という第三世代の戦争形式が登場した点に集約されるが、70年余りの短命に終わった共産主義国家の消滅のお陰であったとはいえ、第三世代の戦争形式から次の第四世代の戦争形式に移行した21世紀には、逆に、消滅の憂き目に遭う最大の危機が待ち受けているかもしれない日本である。