自業自得の被迫害国家

外務大臣でありながら実行部隊の先頭にたっていた宗光は、日本軍が清国軍と砲火を交える前に、朝鮮の王宮を占領し、国王を事実上、虜にした。
豊島沖海戦の二日前、7月23日の未明のことである。
日清戦争勝利の功績の大半は宗光の孤軍奮闘の外交交渉にあったと言っても過言ではない。
戦火の火蓋が切られるたった1週間前の明治27年(1894年)7月16日に、先ず、日英通商航海条約をロンドンで交したのも宗光であり、その後、次々とアメリカ、ロシア、ドイツ、フランスとも条約改正を実現させたのも宗光であった。
安政の大獄の井伊直弼が列強と交した不平等条約の改正は、まさに至難の業であったにも拘わらずである。
現在でも一向に解決しない北方四島領土問題も、宗光であれば即決できたであろう。
一体どんな秘策を以って宗光は列強諸国と交渉したのか不思議というより謎としか言いようがないが、政治犯罪の嫌疑をかけられて禁固5年(明治11年‐1878年)の監獄生活をしたにも拘わらず、出獄後の宗光の活動の異常さに、その謎の鍵があった。
明治16年(1883年)1月4日。
宗光はまだ8ヶ月の刑期を残して特赦により放免された。
その背景には当時首相であった伊藤博文に負うところ絶大であった。
明治天皇しか発せない恩赦を遣ったからである。
一介の紀州浪人出身の男に天皇の恩赦が下される理由は一体何であったのか?
この謎こそ、鎖国を解いた明治以降の日本の悲劇の原点であろうことに気づいた歴史家はどれほどいただろうか?
皆無であろう。
なぜなのか?
首相の伊藤博文が明治天皇に恩赦を出すことを指示するだけの力を持っていたからである。
戦後日本の歴史認識は驚くべき杜撰さの証明がここに隠されている。
韓国政府は“伊藤博文こそ日本による朝鮮侵略の元凶である”と断言するのに対して、安倍政権の官房長官は、日本の初代首相に対して侮辱だと非難し返すのは、国益のための外交テクニックとして理解できるが、正しい歴史認識から甚だしく乖離していることも事実である。
その伊藤博文も最後は暗殺される羽目になる。
暗殺者は朝鮮人の安重根であるが、単独犯ではなく、その背景には黒幕がいたはずだ。
浅沼稲次郎が17歳の山口二也に暗殺され、獄中で「天皇陛下万歳!」と遺書を残して自殺した。
金権政治だとジャーナリストの立花隆に書かれたことで首相を辞任した田中角栄に襲ってきたロッキード事件で大きく関わった昭和天皇は、三木武夫に指示して田中角栄を有罪にまで持ち込んだ。
政治家暗殺や失脚の陰に必ず潜んでいる天皇の存在は、もとをただせば、伊藤博文と明治天皇の関係まで遡れ、更にその背景に陸奥宗光こと坂本龍馬が関わっていたのである。
明治維新の「維新」の真の意味をつくったのは、日本でも日本人でもなく欧米列強によってであり、そこに日本を売り飛ばした日本人がいた。
ユダヤ人イエス・キリストをローマ帝国に売り飛ばした張本人がユダヤ人自身であったことが、ローマ帝国の国教にまでなったキリスト教の教祖に対する仇撃ちとしての、ユダヤ人迫害の歴史の原因であったように、母国を売り飛ばすような国民がたむろする日本人も世界から迫害を受ける宿命を背負っているのである。