ソウル城の秘密

外務大臣でありながら実行部隊の先頭にたっていた宗光は、自ら差し出した一通の書状を思い出していた。

陸奥老台

一、さしあげんと申した脇ざしは、まだ大坂の使いがかえり申さずゆえ、わかり申さず。
一、御もたせの短刀は私のよりは、よほどよろしく候。是はまさしくたしかなるものなり。然るに大坂より刀とぎかへり候時は、見せ申し候。
一、小弟の長脇ざし御らん成られ度いとのこと、ごらんに入れ候う。

十三日謹言
自然堂拜


数多い坂本龍馬の書状の中で、暗殺される直前に書かれた陸奥宗光宛のものである。
この想いを最後に、世を去ったのが、歴史の通説である。
まさに、
表の歴史と裏の歴史が交換されたきっかけが、この短い書状によってつくられたのであり、その直前の生き言葉によって、日本の歴史は変えられたのである。
「おまはん、明日から、わしになりいや!」
「かわりに、明日から、おまはんになるわ!」

薩摩の西郷南州を取り込んだ方が、その後のこの国の支配者になれることを確認し合った書状であり、そのため、龍馬と宗光は入れ替わることにしたのである。
宗光をソウルに派遣する際に首相である伊藤が切ったカードも同じものだった。
「歴史の大きな変換時期には、人の入れ替えが絶対に要ります・・・自分もその役を果たしたことはご承知のはずでしょう・・・・・」
日清戦争での日本軍の第一撃は1894年(明治27年)7月25日、朝鮮の仁川(インチョン)沖合いで清国海軍と交戦した、豊島(ブンド)沖海戦からと日本人は歴史教育で教えられている。
ところが、
日清戦争のとき日本軍の実弾発射第一撃は、朝鮮の首都、ソウルの王宮に対してであり、日本軍によるソウルの景福宮(キョンポックン)の占領から日清戦争は始まったのが真相であり、それを現地で指導したのが外務大臣の宗光だった。