第二十七章 現実という夢

“猿の惑星”という映画があった。
宇宙の旅の途中で、ある星に不時着した。
その星では、猿が人間を支配している、つまり、猿が支配者で、人間が被支配者の奴隷の世界なのだ。
よくよくその星を見渡すと、その星は地球だった。
宇宙の旅は地球上での時間を狂わせ、ほんの一ヶ月の旅のつもりが何百年、何千年、何万年も経っていたという話だ。
地球では一年は365日だが、隣の星である火星では一年は667日、金星では一年は1.9日、木星では一年は10,477日と星によって時間の物差しが違う。
地球に住んでいる我々人間は365日過ぎたら歳が一歳増え、精神も肉体も老いると思っている。
ところが、火星で住めば667日過ぎないと歳が一歳増えない、畢竟、一歳増えるのに地球の667÷365=1.83倍掛かる。
従って、地球で59歳の筆者は、火星では59÷1.83=33歳だ。
一方、金星で住めば1.9日過ぎると歳が一歳増える、畢竟、一歳増えるのに地球の1.9÷365=0.005倍しか掛からない。
従って、地球で59歳の筆者は、金星では59÷0.005=11,800歳だ。
更に、木星で住めば10,477日過ぎないと歳が一歳増えない、畢竟、一歳増えるのに地球の10,477÷365=28.7倍掛かる。
従って、地球で59歳の筆者は、木星では59÷28.7=1.95歳の赤ん坊だ。
逆に言えば、一年=10,477日の木星で59歳の筆者は、地球では(59×10,477)÷365=1693歳であり、一年=1.9日の金星で59歳の筆者は、地球では(59×1.9)÷365=0.3歳であり、一年=667日の火星で59歳の筆者は、地球では(59×667)÷365=108歳であるとも言える。
月の場合は更に劇的である。
月の一年と一日は同じだ。
つまり、月で住めば1日過ぎると歳が一歳増える、畢竟、一歳増えるのに地球の1÷365=0.003倍しか掛からない。
従って、地球で59歳の筆者は、月では59÷0.003=19,667歳であり、月で59歳の筆者は、地球では(59×1)÷365=0.16歳になる。
地球に住んでいる者が月に移住する場合と、月に住んでいる者が地球に移住する場合で歳の取り方がドラマチックに変化する。
八郎とリエは宇宙への旅をした。
その間に16年という歳月が経過していたわけだ。
2033年12月31日の次の日は2034年1月1日の筈だが、八郎だけが16年ジャンプした。
首里の都ホテルの一室は、2033年12月31日の空間にリエが居て、2049年12月31日の空間に八郎がいたのである。
ところが12月31日から1月1日になる24=4秒の間に、リエも16年ジャンプした。
結果、ふたりは2050年1月1日における首里の都ホテルの一室を共有したのである。
ふたりの乗った漁船は宇宙船だ。
漁船の中は地球上での時間が経過するが、漁船の外の空間は地球の時間が適用されない。
1999年1月31日に生まれた八郎は31歳だが、月では31÷0.003=10,334歳であり、月で31歳の八郎は、地球では(31×1)÷365=0.08歳にしかならない。
2015年1月31日に生まれたリエは19歳だが、月では19÷0.003=6,334歳であり、月で19歳のリエは、地球では(19×1)÷365=0.03歳にしかならない。
ふたりの年齢の間には正確に16年の差がある。
世界に80億近くいる人間の中で、ふたりが出会う確率は0.003%から0.008%しかないことを示唆しているにも拘わらず、ふたりは同じ宇宙船に乗るという奇跡的な同通者なのである。
地球に住んでいる者が月に移住する場合と、月に住んでいる者が地球に移住する場合で歳の取り方がドラマチックに変化する。
その中で、嘗て天台宗の寺であった清水寺がユダヤ教のシナゴーグに変遷していたのだ。
六芒星の紋が入っている門を潜ったふたりが最初に目にしたものは、嘗ての「おかげの井戸」だった。
清水寺を開いた開山法道仙人が水神に祈って湧き出した井戸である。
清水寺という名前の由来は、この井戸から湧き出る滾浄水が余りにも清い水から来たものだ。
「何だって!」
八郎は吃驚して思わず叫び声をあげた。
「おかげの井戸」という名前が「いさらいの井戸」と変わっていたのだ。
「いさらいの井戸」は嘗て京都太秦の広隆寺境内にあった井戸で、今では一般住宅地にあるが、不可侵の井戸と怖れられている。
水が湧き出るわけではなく、通行の邪魔になる井戸だが、誰も移動させようとは言い出さない。
八郎は「いさらいの井戸」の由来を知っていただけに驚愕したのだ。
砂漠の国にとって井戸水は命だ。
一杯の井戸水を争って殺し合いをしてきたのが砂漠の民の歴史であり、その結果、男女の比率が極端に崩れて、四人の妻を娶る慣習が生まれたのだ。
男尊女卑の概念から誕生した慣習では決してない。
アラブの民はハム系人種だ。
ユダヤの民はセム系人種だ。
元を糾せば同じ人種で、箱舟で有名なノアに帰る。
ノアの子にハムとセムがいて、ハムはその後エジプトに住むようになる。
アラブ民族の祖先の誕生だ。
彼らは共に砂漠の民である。
砂漠の民にとって井戸水は命である。
八郎が驚いたのは、他にも理由があった。
もともと「いさらいの井戸」は京都太秦の広隆寺境内にあった井戸だが、その後、広隆寺の西門に通ずる駐車場の横にある狭い住宅地への路地の入り口のところに移された。
今ではほとんど水も出なくなったそうだが、昔は生活水の重要な供給源であったらしい。
源氏物語の中にも「いさらい」のことが書かれていて、その時代に既に「いさらい」という言葉の意味が分からなくなっていたようである。
ひらがなで『いさらい』と石の井戸の正面に彫ってある。
「伊佐良井戸」が正式名だが「いさら」とは「些細な」という意味で、景教の経典の中にも『いさらい』のことを『一賜楽業』と書かれ『イスラエ(Ezurae)』と発音する。
「イスラエル」とはヤコブの別称だ。
ヤコブはイサクの子で、イサクはヘブライの民の祖先アブラハムとサラの間に生まれた子だ。
アブラハムはノアの長男セムの流れを汲む。
セムの子がアルパシャクド、アルパシャクドの子がシェラ、シェラの子がエベル、エベルの子がベレグ、ベレグの子がレウ、レウの子がセレグ、セレグの子がナホル、ナホルの子がテラ、そしてテラの子がアブラハムだ。
従って、イスラエルとはヘブライの孫に当たり、ユダヤとはヘブライの蔑称だ。
「些細な」という意味に蔑視観念が篭っている所以であり、愛憎が交錯する複雑な言葉である。
なぜそんな名前の井戸が清水寺にあるのか、八郎の胸は驚きと喜びで震えていた。
京都東山の清水寺は西国三十三所の第十六番札所で、音羽山の清水寺と呼ばれている。
一方、西国三十三所の第二十五番札所が、御嶽山の清水寺だが、御嶽山は清水山とも呼ばれている。
つまり、音羽山の清水寺よりも、御嶽山の清水寺の方が本家にあたるというわけだ。
京都発祥の地は山城で、今の太秦から葛野の辺りを言う。
794年(延暦13年)。
第五十代桓武天皇が平城京から長岡京を経て遷都した都で、平城京に対して平安京と名づけた。
延暦13年(794年)から明治2年(1869年)東京遷都まで1,075年間の帝都である。
現在の京都市の中央部を、東西約4.5キロ、南北約5.3キロ、中央を南北に走る朱雀大路(すざくおおじ)によって左京・右京に二分し、北部中央に南面して大内裏(だいだいり)をおいた。
条里の制によって、縦横に大路を通じ、南北を九条、東西を各四坊とし、さらにこれを小路によって碁盤の目のように整然と区画したものだ。
現在の京都は、近世初頭、豊臣秀吉によって改造を経たのちに発展したもので、現在の御所はその時に建造された。
元々の御所は御池通りの西側、つまり、葛野から太秦により近い所にあり、文字通り平安京が、秦一族によって建設されたもので、平安京の由来はイェルサレム(たいらのみやこ)に他ならない。
秦一族が中国から渡来して最初に寄港した地が播州加古川だ。
聖徳太子の片腕となった秦川勝が、太子没後、蘇我入鹿の法隆寺急襲で太子の長男・山背大王(やましろおおきみ)以下が自害した時、身の危険を感じて太秦から移った地が播州加古川である。
加古川には播州の法隆寺と言われている鶴林寺があるが、実は法隆寺が飛鳥の鶴林寺なのである。
斑鳩の斑鳩寺は播州瀧野の斑鳩寺が本家なのである。
山城(やましろ)と山背(やましろ)。
音羽山の清水寺と御嶽山(清水山)の清水寺。
平安京とイェルサレム(たいらのみやこ)。
そして2000年の時を超えて、「いさらいの井戸」が、播州に戻ってきたのである。
八郎はデジャブ現象に陥っていた。
『どこかで観たことのある景色だ!』
『どこか覚えのある景色だ!』
デジャブ現象は夢を観ているのと同じ現象である。
所詮は記憶が為せる業であることに変わりはない。
問題は記憶の整理にある。
普段目が醒めている時の記憶が時系列にきっちり整理されており、夢の中では時刻の名札が外されているから、取り止めのない場面が展開されると言われている。
普段目が醒めている状態を現実だと思い込んでいる根拠は、記憶が時刻の名札によってきっちりと整理棚に収められていることだ。
しかし、星によって時間の基準がみな違うのだから、時刻の名札は普遍のものではない。
人間だけにある時間の概念と、宇宙を貫く時間の観念とはまったく違うものなのだ。
時間の概念は1時間が基本であり、更に1秒、1分、1週間、1ヶ月といった基準が人間によって決められていった。
時間の観念は一日と一年が基本であり、その根拠は自転周期と公転周期によって決まっている。
概念は普遍性がまったくない、常に変化する。
観念は普遍性そのものだ。
人間だけにある「考え方」が概念を生んだのであり、従って、概念とは人間社会だけに通じる常識だ。
観念とは宇宙の法則に基づいた「在り方」であり、従って、マクロ宇宙からミクロ宇宙までを貫く真理だ。
概念に基づく努力の成果が知性だ。
観念に基づく気づきの成果が知恵だ。
知性では、目が醒めている現実が現実であり、夢を観ている夢が夢となるが、知恵では、目が醒めている現実も所詮は夢であり、夢を観ている夢の方がより現実的な夢となる。
夢を観ている真最中は、夢と思わずに現実と思い込んでいる所以がここにある。
デジャブ現象は、眠りの中の夢という映画を、目が醒めている中で鑑賞している状態に他ならない。
結局の処、人間が生きている人生とは夢という映像に他ならない。
平敦盛が辞世の句として詠んだのを織田信長が受け継いだ「敦盛」だ。

思えばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、栄花は先って無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も月に先って有為の雲にかくれり
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり
ひとたび生を享け、滅せぬもののあるべきか

織田信長が辞世の句として詠んだ「敦盛」を受けて豊臣秀吉が受け継いだ浪華の夢だ。

露と置き、露と消えにし、我が身かな
浪華のことも、夢のまた夢

織田信長に引導を渡した明智光秀の天王山洞ヶ峠での辞世の句だ。

逆順無二の門、大道は心源に徹す
五十五年の夢、覚来(さ)めて一元に帰す

人間は最後に必ずデジャブ現象や夢の正体に気がつく。
それが死への誘いだ。

浅野長矩の辞世の句だ。

風さそう、花よりもなほ、我はまた
春の名残を、いかにとやせん

浅野長矩の辞世の句を受けた家来大石内蔵助の辞世の句だ。

あら楽し、思いは晴るる、身は捨つる
浮き世の月に、かかる雲なし

そして辞世の句の最高峰が十返舎一九だ。

この世をば どりゃお暇に せん香の
煙とともに、灰(はい)左様なら

八郎がデジャブ現象に陥っていたのは、冬子が原因だった。
冬子が清水山で修行をしていたことがあるからだ。
冬子も高野山で嘗て同じ経験をしたことがある。
父の四郎が高野山で修行したことがあるからだ。
そして、遂に、来るべき時が来た。
リエにも同じ現象が現れたのである。
『どこかで観たことのある景色だ!』
『どこか覚えのある景色だ!』
そんな筈がない!
誰の声かわからないが、誰かが問うている。
八郎は月の子だ。
冬子は地球の子だ。
四郎は地球の子だ。
須佐乃男命は国常立命(クニトコタチノミコト)を親に持ち、天照大神は天御中主命(アメノミナカヌシュノミコト)を親に持つ。
天津神は太陽の表の子であり、国津神は太陽の裏の子である。
天御中主命(アメノミナカヌシュノミコト)は天津神が地球に降り立った姿であり、それが天皇家である。
国常立命(クニトコタチノミコト)は国津神が地球に降り立った姿であり、それがデビルこと鬼神四郎に他ならない。
日本という国が有事に陥ると、それまで日本を司っていた天津神系、つまり、天御中主命(アメノミナカヌシュノミコト)そして天照大神系が横に追いやられ、国津神系、つまり、国常立命(クニトコタチノミコト)そして須佐乃男命が表舞台に登場する。
これが日本の真の歴史だ。
江戸時代中期、天理教を興した中山ミキ女史に世の立て直しのために天理の大王(おおきみ)が降臨して以降、黒住教、金光教、大本教そして“新しい道”と続々と、世の建て直しを図る神が降臨していった。
それぞれの宗派で神の名は違ったように語られているが、国津神系の大本である丑寅の金神こと国常立命(クニトコタチノミコト)の仕業である。
大本教を開いた出口なお女史、そして中興の祖で聖師として仰がれている出口王仁三郎や、“新しい道”の開祖・松木草垣女史は、ずばり国常立命(クニトコタチノミコト)の仕業であると言っている。
女性の身に世の建て直しの国津神が降臨するという傾向が、日本の近世中期から近代にかけて起こっている。
そして二十一世紀に入って、いよいよ満を持して鬼神冬子が登場しようとしているのである。

リエの様子がおかしい。
彼女の体には呪われた血が渦巻いている。
沖縄戦線で曾祖母の石嶺礼子が米軍兵士にレイプされた。
石嶺礼子の父親の名は海部兵庫であり、母親が小百合だ。
兵庫は日本占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーの命の恩人でもあり、天皇家を凌駕する家系の人間である。
海部兵庫。
125代続く天皇家に匹敵する名家・海部家の血を引く人物である。
海部家のルーツは出雲であり、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説で有名な須佐之男命(スサノオノミコト)の五男で末子の大歳(オオトシ)の流れを汲む一族であり、出雲から丹後半島へと流れて居着いた。
更に東へと流れていった一族には尾張一族や諏訪一族がいて、日向の西都原にもその一族の流れは及び、日向の隣の薩摩、そして海を渡って奄美から琉球にまで拡がっていた。
海部兵庫は那覇で生まれたが、旧制一中に入学するために東京に移り、それ以降、沖縄に帰ることはなかった。
旧制一中から一高を経て東京帝国大学に入った兵庫は、法学部に進級する時点で、失踪事件を起こした。
麻布の海部本家邸に居候していた兵庫が二十歳の時である。
何があったのか。
海部一族の人間は誰も知らなかった。
兵庫が麻布の本家邸に再び姿を現した時には、十四年の歳月が経っていた。
何処で何をしていたのか、本人の口から一切の説明はない。
ただはっきり言えることは、軍人になっていたことだけである。
再び姿を現した時に軍服を着用していたからだ。
日本軍の軍服でもない、アメリカ軍の軍服でもない。
特に十数人の部下が彼のボディーガードとなり、厳重な警戒態勢を敷いている様相は、一種異様な雰囲気を醸しだし、一族の者たちは畏怖感を持った。
恐怖感とも畏怖感とも感じさせる彼の雰囲気は、それ以後ますます助長されていった。
天皇家に匹敵する海部家の系図は国宝になっているだけに、天皇家も兵庫の一件には注目していた。
彼が十四年ぶりに姿を現したことを知った宮内庁は、麻布の海部本家に使いを出した。
今上天皇が兵庫を謁見したいと言う。
天皇と兵庫の会見は丸一日に及んだが、会見の内容は誰も知ることができなかった。
天皇との会見後、海部兵庫は「無任所相談役」という訳のわからない役職を宮内庁から賜った。
天津神と国津神という言葉が神道にある。
日本の公式歴史書である古事記と日本書紀いわゆる「記紀」の神話編に登場する、日向の西都原にあった高千穂の峰に降臨した天孫降臨系の神を天津神系と称し、出雲系の神を国津神系として、国津神系の神々が、日の本の国の統治を、天津神系の神々に譲る、いわゆる、国譲り物語だ。
天皇家の先祖が天津神系であり、その始祖が天照大神(アマテラスオオミカミ)である。
海部家の先祖が国津神系であり、その始祖が大国主命(オオクニヌシノミコト)であるが、因幡の白うさぎの物語で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)は、須佐之男命(スサノオノミコト)と大日霊女貴命(オオヒルメナムチノミコト)との間に生まれた三人の媛の末子・多紀理媛の入り婿であり、実権を持っていたわけではない。
実権を持っていたのは、須佐之男命(スサノオノミコト)の末子である大歳(オオトシ)であり、大歳(オオトシ)の流れを汲む海部一族である。
まさに古代の日本の国を天皇家と二分した勢力が海部一族なのだ。
そして、礼子が自殺した直後に産み落とした夏子の孫がリエなのである。
リエの体には海部兵庫の血が引き継がれている。
「記紀」の神話編に登場する国津神の末裔が海部一族であり、鬼神冬子の父・四郎に国津神の最高神である国常立命(クニトコタチノミコト)が降臨したのだから、リエと八郎は神話の世界での縁者なのである。
血縁社会とは肉体の親子の関係が連綿と引き継がれた映像の世界であるのに対し、心の繋がりの関係は実在の世界だ。
映像の世界は、流れる時間の世界であり、運動の世界であり、すべてが相対的である世界だ。
水平世界と言ってもいいだろう。
人間だけが有している時間の概念は過去・現在・未来と区分けする水平時間のことだ。
過去・現在・未来と区分けする水平時間は流れるゆえ映像にならざるを得なくなる。
ロケ現場で撮影した映写フィルムの一枚一枚は静止画フィルムであり、積み重なった静止画フィルムが映写機のレンズの前を静止せずに流れるから、スクリーンに動画面が映写される。
流れる水平時間とは、映写機のレンズの前を映写フィルムがパラパラと流れる(捲られる)時間に他ならない。
その結果、スクリーンに人生という映画が映し出される。
実在の世界は、止まっている時間の世界であり、静止の世界であり、すべてが絶対的である世界だ。
垂直世界と言ってもいいだろう。
人間以外の生き物が有している時間の観念は『今、ここ』という垂直時間のことだ。
流れる時間を実時間と呼ぶなら、止まっている時間を虚時間と呼べるだろう。
現実の世界が映像の世界であり、虚ろな世界が実在の世界なのだ。
肉体の繋がりである血縁関係は映像の世界のことであり、心の繋がりである心縁関係こそが実在の世界なのだ。
那覇空港にはじめて降り立った八郎を、リエは心の囁きで感じ取っていた。
心の琴線に触れたからだろう。
リエは八郎の世界をまったく知らない。
八郎は冬子の世界をまったく知らない。
八郎を挟んで冬子とリエが映像の世界と実在の世界の狭間にいる。
2033年12月31日までの清水山が2034年1月1日にはシナイ山に変貌し、2049年12月31日までの音羽山が、2050年1月1日にはイェルサレムの丘に変貌していた。
人類の黎明期の歴史はアダムからはじまりアブラハムに至るが、人間の寿命が120歳と決まったのがノアの時代である。
それまでは、アダムは930歳まで生き、アダムの子・セトは912歳まで生き、セトの子・エノシュは905歳まで生き、エノシュの子・ケナンは910歳まで生き、ケナンの子・マハラエルは895歳まで生き、マハラエルの子イエレドは962歳まで生き、イエレドの子・エノクは365歳まで生き、エノクの子・メトシュラは969歳まで生き、メトシュラの子・レメクは777歳まで生き、レメクの子・ノアは950歳まで生き、ノアの子・セムとハムとヤフェトの代から人間の寿命は120歳までと決まった。
旧約聖書による人類の実話の歴史はここからはじまったと言っていいだろう。
「記紀」による日本の実話の歴史もここからはじまったと言っていいだろう。
初代神武天皇が即位した年が紀元前660年2月11日だ。
爾来、九代開化天皇までの在位期間は不明であり、十代崇神天皇の在位期間が二世紀前半と言う。
それなら、九代の天皇が在位した期間はおよそ800年にも及び、それぞれの天皇は100歳から200歳生きたことになる。
更に、在位期間が明確になったのは、三十三代推古天皇からであり、聖徳太子が摂政として国を治めていた時代である。
更に、天皇という名称が確立されたのは、四十代天武天皇の時世からだ。
「記紀」はさしずめ旧約聖書の日本版だ。
アダムにはイブという妻が、アブラハムにはサラという妻がいた。
神武天皇には玉依媛という妻が、天武天皇には広野媛という妻がいた。
八郎を挟んでリエと冬子がいる。
時を超えて、空間を共有する世界が展開する。
リエの様子がおかしい理由があった。
那覇空港で八郎と出会って以来、リエは曾々祖母の小百合、曾祖母の礼子、祖母の夏子までの記憶はあったが、肝腎の自分の母の記憶が消えていることに、清水山に来て気づいたのだ。
『自分の記憶が飛んでいる!』
一種の記憶喪失症である。
記憶喪失症は、『今、ここ』以前の記憶がすべて消滅若しくは潜在意識に隠れている病気だ。
記憶が一部飛んでいるのも記憶喪失症の一種であり、人間の殆どはこの病気に陥っているが、当人は病気だと思っていない。
錯覚生き物・人間の所以のひとつだ。
精神分裂症も同じ現象のひとつで、やはり、錯覚生き物・人間の所以のひとつだ。
記憶喪失症や精神分裂症を病気だと自覚していない人間が普通の人間というわけである。
記憶喪失症や精神分裂症自体を認識していない人間が異常な人間というわけである。
大した変わりはないが、大いに変わりはある。
自覚と認識の差だ。
自覚症状がないのが普通の人間だ。
認識力がないのが異常な人間だ。
まさに、知識と知恵の逆差だ。
リエは認識と自覚を同時に達成したのである。
『自分の母親の名前は冬子だった!』
現実の中の夢が正夢になりかけているのだ。
現実という映像が実在になりかけているのだ。
悟りの正体だ。
人生は舞台劇である。
舞台には実舞台を彩る背景がある。
いわゆる夢のことだ。
実舞台はいわゆる現実だ。
いわゆる現実といわゆる夢とで人生という舞台劇が展開されるが、劇場の席に座っている鑑賞者にとっては、所詮は芝居であり、映像である。
殆どの人間は背景だけを現実だと思い込んで生きている自覚のない普通の人間だ。
振り子の振れの大きい人生を歩むと、認識力が極端に振れ異常な人間が現れるのが天才と気狂いだ。
映像の人生に気づいていない点では同じだ。
リエは映像の世界から実在の世界に入りかけようとしているのである。