9.日露戦争の正体

韓国併合は1910年8月の条約調印から1945年の日本敗戦まで続いたが、実質は1904年から日本の統治下にあった。
韓国の統治権を完全かつ永久に日本に譲渡することなどを規定、以後韓国を改めて朝鮮と称し、朝鮮総督府を置いた。
韓国人・安重根に暗殺された伊藤博文は、正式調印するまでの実質朝鮮総督であり、韓国統監と自称していた。
なぜそんな人物がハルピンで暗殺されたのか?
伊藤博文が明治維新の元勲の一人たる人物であることから、日露戦争以降、日本がおかしくなったと強調する司馬遼太郎の論旨は当初から形而上学的矛盾をしている。
司馬遼太郎は韓国併合について、こう述べていました。と中塚明氏も書いている。
「われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。(司馬遼太郎『「昭和」という国家』NHK出版、1998年37ページ)
一方、
1977年(昭和52年)、東京の有名な古書店、巌南書店から、参謀本部が編纂した『明治三十七年・八年秘密日露戦史』が復刻刊行されました。と中塚明氏は続けている。
「対露作戦計画(三十六年十二月)
韓国の占有はわが国の国防を完全なものにする根拠であって、決して他国は指先でも韓国にふれることは許さない。それゆえに時局の推移が不幸にして日・露開戦ということに立ち至ると、必ずやまず韓国の占領を完全に行い・・・。
ロシアに対する作戦はこれを二期に区分する。つぎの通りである。
第一期 鴨緑江以南の作戦であって韓国の軍事的占領を完全にするのを限度とする。
第二期 鴨緑江以北満州作戦・・・・。
右の二項は開戦を予期しての準備手段であるから敵に対してその実行を秘密にして隠しておくため、実際の戦争のための作戦行動に移るまでは変装しておくこと(紳士、技師、商人、工夫、運搬人夫、漁夫などに変装して)。」
対ロシア戦争に当たって韓国を軍事占領し、兵站基地化することが、まったく一点の留保もなく当然の前提として考えられていることがよくわかります。
それでも日露間に戦争が起こりそうだと見て、ソウルには公使館や居留民を保護するために、欧米諸国の軍隊も入って来はじめました。参謀本部ではこの様子を見て、ソウルが今後ますます政略上、戦略上、扇の要のようにたいへん重要な地域になると考え、そのために「陸軍少将伊知地幸助」が韓国に派遣されます。その際、伊知地に与えられた訓令はつぎのようなものです。
「列国の軍隊がソウルに入ってきた結果、ソウルが中立地となる恐れなしとしない。あなた(陸軍少将伊知地幸助)は深くこういう状況に注意し、韓国駐在の日本公使と協議して、この事件(ソウルが中立地帯となること)の成立しないよう全力をつくせ」
他国の軍隊がソウルに入城してきた結果、ソウルが中立化したら大変だから、そういうことにならないよう、韓国駐在公使とよく相談して、全力をつくせ−というわけです・・・。
大山巌をトップとする参謀本部では、日露戦争をはじめる前から、朝鮮を日本の支配下におくことは、自明の方針としていたのです。
日露戦争下の朝鮮を伝えるにはもっと多くのことを書かなければなりませんが、司馬の議論を批判するには、これだけの材料でも十分でしょう。と中塚明氏は日露戦争の正体について締めた。