6.朝鮮王妃殺害事件

日清戦争で清国を血祭りにあげた日本は、日清講和条約(下関条約)では、清国は朝鮮の独立を認め、日本は中国から遼東半島、台湾、澎湖諸島を分割させ、賠償金2億両(当時の日本円で3億1000万円、日清戦争が終わった1895年の日本の国家財政が1億1840万円)を日本に支払い、その他多くの不平等条約を結ばせた。
まさに、
欧米列強にやられたことをやったのは、日本も帝国主義国家であった証に他ならない。
下関条約の調印から半年後の1895年(明治28年)10月8日、朝鮮駐在の日本公使館および駐屯日本軍が深くかかわって、王宮の奥深く、国王の妃の寝室にまで乱入した日本人(軍人・民間人)が王妃を惨殺するという事件が起こった。
日本の外交文書では「王城事変」などと表記されているが、これでは一体何の事件なのか、さっぱりわからない。
「閔妃(ミンピ)事件」といわれる事件は、王宮に乱入するという蛮行の様子を外国人や朝市に集まる朝鮮人に目撃されて、公衆の知るところとなったのである。
第二次世界大戦後の日本政府文書(「日本外交年表竝主要文書」)でも、「朝鮮大院君我士軍隊に擁せられクーデター、閔妃殺害さる」としか書かれていない。
「坂の上の雲」でも作者は、事件当時、朝鮮駐在の杉村公使館員が後に書いて刊行した「明治27・8年在韓苦心録」(1932年刊)など、この事件の当事者が書いた記録があるのに、事件にまったくふれることはなかったのである。