5.皆殺しはナチス・ドイツだけの専売特許ではなかった

日本政府・軍による朝鮮王宮占領事件で、朝鮮で大きな抗日運動が起こった。
「東学農民革命」である。
「坂の上の雲」では、この1894年(明治27年)春に起こった農民蜂起について、司馬遼太郎はどのように書いているかを、先ず引用してみよう。
「韓国自身、どうにもならない。
李王朝はすでに500年も続いており、その秩序は老化しきっているため、韓国自身の意思と力でみずからの運命をきりひらく能力は皆無といってよかった。
そこへ東学党の乱がはびこっている。東学とは西学(キリスト教)に対することばである。儒・仏・道という三教をあわせ、これに現世利益をくわえた新興宗教で、これがわがくにの幕末ごろから朝鮮の全羅道、忠清道の農民のあいだにひろがり、やがてそれが農民一揆の色彩をおびてきた。
それが韓国の秩序をゆるがすほどのいきおいになったのは、明治27年2月のいわゆる甲午農民戦争からである。東学の布教師のひとりである全琫準(ゼンホウジュン)らが指導し、千人をもって古阜の郡役所を占領した。5月11日、これを鎮圧しようとした政府軍を黄土峴(コウドケン)でやぶった。同27日には新式火器をもつ官軍を4000人の農民軍がやぶり、同31日には全州城を陥落させた。
韓国政府は大いにおどろいた。韓国が直面したおそるべき不幸はみずからの政府の手で国内の治安を維持できなくなったところにあるであろう。」
一方、儒教的な立場から日本の侵略には黙っていられないと立ち上がる動きがあらわれてきた。
慶尚北道(キョンサンプドウ)で蜂起した徐相徹(ソサンチョル)は、決起の檄文で、日本は秀吉以来の仇敵であると指摘し、その日本軍が王宮を占領し、国王を脅迫しクーデターをおこなわせた。そして首都を制圧したのみならず、地方まで侵入して朝鮮は重大な事態に直面している。これに対処して朝鮮は挙族的に立ち上がらなければならないにもかかわらず、宮廷にいる臣下は無自覚で日本の招きで入閣するなど憂うべき状態である。さらに王宮占領から一か月も経っているのに、宮廷の臣や全国の官吏らが誰一人、義のために決起するものがいないから、憤りを感じてたちあがることを決意した。と述べている。
「坂の上の雲」で指摘されているように、たかが新興宗教の反乱程度にしかとらない日本政府及び軍は「東学党ニ対スル処置ハ厳罰ナルヲ要ス。向後悉ク殺戮スベシ」を決定し、川上操六参謀次長が1984年(明治27年)10月27日、朝鮮にいる日本軍にうった電報である。
日本政府・日本軍は、朝鮮人を文字通り「血の海」に溺れさせて、「朝鮮の独立」のためにたたかったということになります。と中塚明氏著作に述べられている。
王宮を占領され国王がとりこになっただけではなく、ばくだいな犠牲をはらったこの抗日のたたかい、その民衆的体験、それはいかにみな殺しにあったとはいえ、朝鮮の民族的体験として、忘れようとしても忘れることはできないものであったと私は思います。読者の皆さんはいかがでしょうか。